教育福島0176号(1994年(H06)01月)-029page

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大粒の涙

 

鈴木憲一

 

車中、私は悔しさと悲しさで大粒の涙が止まらなかったことを覚えています。

 

今から九年前、福島地区中体連新人戦前日の出来事です。「鈴木さん、肺炎です。明日の午後二時までに入院してください。」その言葉に病院から学校までの車中、私は悔しさと悲しさで大粒の涙が止まらなかったことを覚えています。

当時、私は教師になって三年目、経験のない女子バレーボール部の顧問として無我夢中でバレーボールに打ち込み、やっとまとまりのあるチームができたときだけに、あの時の言葉は谷底へ突き落とされる思いでした。『なぜ、このような大切なときに、病気になったのか。』頭の中を様々な思いがめぐっていました。

学校へ着き、部員に向かって、「先生が教えるべきことはすべて教えた。あとは、先生がいなくても大丈夫だ。明日の試合、頑張れ!」「そんなこと言われても……。」私も子どもたちもそれ以上言葉の交わしようがありませんでした。

新人戦第一日目、私は入院までのわずかな時間を利用し、試合会場へ車を走らせました。第一試合が終了しており、結果は予想外の敗戦でした。残るは午後の一試合のみです。「先生はいないのだから、自分たちを信じて、練習通りのバレーをやれ。」子どもたちもやっと納得したようで、「先生、私たちも精一杯頑張ってみます。先生も早く治してください。」と言って見送ってくれました。

こうして、私は病床で結果を待つ身となってしまいました。一日目は、午後の試合を奇跡的に勝ち抜き、どうにか二日目の決勝トーナメントへ進出しました。

二日目は、私にとって忘れられない日となりました。夕方遅く、喜色満面で優勝カップを掲げ、部員全員が病院にやって来たのです。「先生、私たち勝ちました。優勝です。」私の目からは、二日前の車の中での涙より大粒の涙が流れ、その時ほど『教師をやっていてよかった。』と思ったことはありません。

今、あの時のことを振り返ってみると、子どもたちが依頼心を持たず、一つのボールに心を結集し自分達だけで戦ったからこそ、素晴らしい結果につながったと思います。私たち教師は子どもとの関わりの中で、その秘めた力と可能性を信じ、子どもに任せる場をもっと設けてもよいと思います。そこから、心豊かでたくましい人間が育つと信じます。

あの時のキャプテンが高校・大学とバレーボールを続け、本県の体育教師を目指して頑張っていることを耳にして、彼女に熱い声援を送ると同時に、私も教育道に精進しようと決意を新たにする昨今です。

(鮫川村立鮫川中学校教論)

 

シベリア上空にて

 

渡辺憲一

 

員連合主催の欧州社会教育視察団として二週間程海外を旅行する機会を得た。

 

全国社会教育委員連合主催の欧州社会教育視察団として二週間程海外を旅行する機会を得た。

イギリス、フランス、イタリアを回って感じたことは、第一に欧州諸国は、労働時間が短く余暇をそれぞれの生きがいに結び付けているということ。第二に、日本の社会では「集団」を重んじているのに対し、欧州諸国の社会では、「個」を大切にしているということである。

訪問先のフランスのマルセイユ・カマルグ地方は、地中海に面したりゾート地域で、マリンスポーツ、乗馬、ゴルフ、テニス等リゾートとしてのあらゆる施設が開発されていて、夏は、長期夏季休暇制度を利用したバカンス客で大変賑わうところである。また、フランスには、生涯学習のための「マルチィヌ・オーブリ」法があり、企業主は、雇用者の所得の一・五%の予算を計上することになっている。日本では今、企業メセナ(企業による芸術文化の擁護・支援)があるにしても一歩進んだこの法に見習うところは大きい。

日本人は、本当によく働く。「忙しい」とはリツシンベンに亡きと書く。

 

 

 


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