教育福島0177号(1994年(H06)02月)-018page

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成せる技なのであろう。

このような、一見無謀にも思える旅には、ガイドブックのトレース旅行にはない醍醐味がある。観光客が列をなす有名な店よりも、乗り合わせた電車で知り合った地元の人に聞いた小さな店の方が、びっくりするほどうまかったりする。知らない土地では、恥ずかしがらずに何でも地元の人に聞くのが一番簡単であり且つ確実な方法である。

無計画旅行で一番苦労するのは、やはり泊まる場所である。今日はどの辺までいけるかという目安をつけて、その日の朝、時刻表の終わりの方のページなどで宿を探し、電話するのである。それ以外のほとんどの場合、夕方になって駅員さんに聞いたり、観光案内所に行ったりすれば、必ず見つかるものである。私は幸か不幸かまだ一度も野宿はしたことがない。ただ、確かあれは北海道だったと思うが、どこの宿も満室で、ほとほと困っていたところ、ある旅館の主人が、従業員用の空いてる部屋で良ければということで、地獄に仏とはこの事だと思い、その人情味あふれる好意につい甘えてしまったことがあった。おまけに次の日の朝、釣り船に乗せてもらい、釣った魚をその場で調理した朝食をご馳走になったことは、かけがえのない体験であり、その味は、一生忘れることはないと思う。出来れば、いつかもう一度訪ねてみたいものである。

しかしながら、現実問題として、学生時代のような自由奔放な旅は、あまりにリスクが大きく、我々社会人にとっては至難の技である。不本意ではあるが限られた期間内で、いかに自分だけの旅をつくる事が出来るか、それによって、どれほどの発見があるかが、今でも出来る旅の最高の楽しみである。

皆さんも、無計画旅行、いや夢計画旅行で自分だけの場所を見つけてはいかがですか。

(県教育庁財務課主事)

 

園の窓から

渡辺孝子

 

「熱がどうしても下がらない。」

 

「熱がどうしても下がらない。」

秋の遠足の日、体調をくずし、とうとう出勤することができなかった。

幼児教育の仕事に携わってから、長い年月を重ねているが、私にとって行事への欠席は初めてであった。

水枕に頭をのせ、一時間毎に熱を測る。ついに遠足に行けないと判断した時は、園児同様ただ残念無念の思いが胸いっぱい広がる。行事に参加できなかった子供たちの気持ちを身を持って体験することとなったわけである。

翌日、足どり重く園に向かう。子供たちに声をかける気にもなれず園内を一周する。すると、スキップしながら元気に登園してくる子供たちや、はしゃぎながら昨日の遠足のことを語りあっている子供たちの姿に出合う。

「あっ、孝子先生だ!」「かぜ、もうなおったの?」「熱はもうなくなったの?どっこも痛くないの?」と声をかけながら私の類に両手を当てる子・のどをなでる子。「どれ…」と言って自分の髪を両手であげておでこを出し、自分のおでこを私の額に当てる子。両手をさすってくれる子等々、いろいろな方法で私の病状を確かめあっている子供たちの姿に接しながら、目頭が熱くなるのを感じた。と共に日頃自分がやっていることをそのまま表現している園児の姿に驚く。具合いの悪い子供に私がいつもしていることをそっくりそのままやってくれたのである。

元気のない私に精一杯の優しさを表現してくれたのである。この子たちが、いつまでも思いやりのある優しい人間に育ってほしいと願わずにはいられなかった。

「子供は親の背を見て育つ」といわれるが、園での子供たちは、教師の行動を見て育つのである。日頃子供たちは、私たち保育者の言動の中からどんなものを吸収しているのだろうか。身に付けてほしいと願うものだけでなく、私が気付かないマイナス面までも身に付けていないだろうか。あの朝の一コマは、保育者としての任務の重大さを痛感させられた出来事であった。

九月に子供たちと一緒に種まきした草花がある。小さな芽を出しては子供たちと共に歓声をあげ双葉になれば拍手が沸き、今では一鉢一鉢に苗が植えられている。朝に水をやり、夕方に鉢を並べかえる等して育て、卒園式には、見事な花を一人一人にプレゼントできる日を楽しみにしている。体調を崩した私を気遣う優しさと、小さな植物を大切にする心を持った子供たちが、やがて大輪の花を咲かすことを願いながら。

(郡山市立安子島幼稚園教諭)

 

 

 


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