教育福島0177号(1994年(H06)02月)-021page

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十年前に転動した時も、すぐにでも改築する話でした。諸般の事情によりなかなか実現出来ず、この間に新園舎を夢みながら巣立っていった卒園児は千八百八十人になります。

昨年の五月第二土曜日は、園舎解体の日でした。全職員の見守るなかで作業が開始され、パワーショベルの爪が老朽化した園舎に食い込んだ瞬間、自分の体の一部をもぎ取られるような切ない思いをしました。見物人も無言でそれぞれの想いに浸っている様子でした。

パワーショベルがそしてブルドーザーが容赦なく、くずれかけた園舎を取り壊していく中で、先輩たちが作った等身大の赤鬼が金棒を持ち、目は欄々とし、押し寄せる重機に絶え、最後まで仁王立ちしている勇姿は、衣川の弁慶にも似て、おもわず拍手をし、目がしらは熱くなり、深い印象を残しました。三十年の歴史を刻んだ園舎解体作業のドラマは、わずか一時間で幕を降ろしました。

園舎完成までは、小学校の教室を借りての保育となりましたが、独立園舎とは、また違った体験をすることが出来て、幼児期にふさわしい生活の展開とは何かを考えさせられた一年間でもありました。

改築のために半分になってしまった園庭では、ブランコに乗っている子どもの前でドッチボールをしますが、身のこなしは以前より機敏になっています。子どもたちは、与えられた環境に実によく順応していきます。自然体なのです。狭いから出来ないと条件ばかりこだわり過ぎていたことを反省しました。

年間行事である生活発表会は、公民館の舞台を借りて、運動会は小学校校庭を、水あそびは、児童センターのプールでと地域の施設を利用し体験して来ました。しかし、園の計画どおり進められない不自由さもありました。これからは、やりたい日に、好きな時間に思う存分出来ることは、長年待っていた喜びです。

三月、新園舎へ引っ越しです。完成した園合は、海と船をイメージしたデザインで色合いも明るく小名浜地区に似合いの建物です。

今後は、保健室とオープンスペースを取り入れた保育環境をどう活用するか、発想の転換をすることが課題でもあります。心豊かに元気な子どもを育てることを目標に、教育課程の見直しをし、充実した幼稚園作りに努力したいと思います。

(いわき市立西小名浜幼稚園長)

 

ああ 私の胃炎

折笠弘一

 

一、圧迫される部活の時間

 

一、圧迫される部活の時間

午後五時頃、ようやく翌日の授業の準備を終えて私は体育館に向かった。生徒と一緒に練習することが、私の健康法でありストレス解消法でもあるので、今日は久々にゲームでもやろうかと運動着に着替えてコートに立った。ところが、集まっている生徒はたったの四人しかいない。どうしたのかと聞いたら、「みんな補習と追試なんです。」という返事である。結局全員が顔を揃えたのは五時半頃で、アップと基礎トレでもう帰宅時間になってしまったのである。

他の進学校も同様らしいが、本校でも二年生だけでなく、一・二年生から『学力向上』をスローガンにして、放課後に生徒を拘束する取り組みが多くなってきた。定期テスト後の追試.追々試、朝自習のまとめテスト、英数の補習などで放課後は五時頃までびっしり埋まっている。まして、機械警備で六時半に下校。本校では、考査一週間前から部活は一時間以内となっているが、これでは年間通して計画的な練習・指導ができない状態である。学力向上や大学入試も大切だし、昨今の厳しい大学入試の状況や生徒たちの進路希望を考えると、これも止むを得ないのかと私も三年の補習を担当しているが、なかなか割り切れないものを感じている。

そういうわけで、最近私は運動不足と蓄積するストレスで、持病の胃がまたキリキリと痛みはじめた。これはけっして酒の飲み過ぎが原因だとは、自分では思っていない。

 

二、訓育と陶冶

教師を志す人なら一度は耳にしたことのある言葉だろう。教育の二本柱は、人間集団の中での生活の在り方と生き方を育む「訓育」と、文化遺産を学んで各人の才能や特性を伸ばす「陶冶」である。という意味だと私は理解している。一般には前者を生活指導、後者を学習指導という範疇で扱っているようだが、果たしてこの教育の二本柱がどれだけ現実の教育現場で追求されているのだろうか。

本来、自分のものの考え方や生き方を高めるために、討論したりグル

 

 

 


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