教育福島0177号(1994年(H06)02月)-022page

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ープ研究をしたりする時間であるホームルームが、事務連絡と模試の分析の時間になり、教師も教材研究の代わりに模試の金集めと補習の希望調べなどで追いまくられる。何かおかしいなと思いながらも、「大学現役合格」という地域・父母の熱い期待と学校の名誉の前に、そんな疑問を抱いていては仕事にならない。「高校は予備校じゃない。大学に入るためじゃなく、大学での学習に役立ち、社会に出ても役立つ力を身につけるところなんだ。」と、いくら思っても、それは目の前の親や生徒の切羽詰った不安を解消させることはできない。

だからやっぱり、私の胃炎はなかなかスッキリと治らない。しかし、そんな疑問すらなくしたら、もっと別のところにポッカリ穴が開くんじゃないかと、まだ疑問を持ち続けている自分に安心している。

(県立会津高等学校教諭)

 

母校に赴任して

福本隆

 

としおです。教師として母校に奉職できる機会を得たことは、大きな喜びです。

 

安達中学校創立三十周年の一昨年に赴任しました。本校は、私の母校であり、もちろんこの学校への愛着はひとしおです。教師として母校に奉職できる機会を得たことは、大きな喜びです。

生徒が帰ったあと校舎を歩いていると、自分が中学生だった頃のことを思い出すことがあります。

それは、スポーツにいつも全力投球で参加したことです。まず、中学校に入学したばかりの頃には、中体連の陸上競技大会でリレーの選手として県大会まで出場するチャンスを得ました。また、野球部に所属し、スポーツ少年団野球大会の県大会で優勝したこともあり、大学野球やプ口野球の選手にあこがれた時もありました。さらに、できたばかりの本校プールでの中体連水泳大会では百メートル自由形で優勝したこともありました。このように、私は体育行事に積極的に参加する機会を得、同時にいい思い出をたくさんつくることができました。

スポーツによって得られるものに友情がありますが、私にとってスポーツは、人間関係、友人関係のあり方、協調性などに大きな影響を与えてくれたものと思っています。また、中学校時代の私は、夏は苦手でよく夏バテを起こすなど、体力的には満足できる状態ではありませんでした。それが、中学・高校・大学とスポーツを通して、次第に自分の体力に自信がもてるようになり、おかげで夏が好きになることができたと感謝しているほどです。

私はこのように、大好きなスポーツというものによって体力・気力が養われたと自負しています。それにもまして、現在体育教師として母校に奉職できるということを思うとき、感慨深いものが湧いてきます。

昨年、本校創立三十周年の記念誌を発刊するにあたり、たくさんの方々に原稿を寄せていただきました。その中で、統合したばかりの数年間は、教育環境の整備に全力投球していたという記事がありました。特に、私が中学三年の時にプールが完成し、歓喜に満ちて泳いだその陰に先人の方々の並々ならぬご苦労があったことを知りました。改めてその功績に感謝したいと思います。

今、本校では、町のふるさとづくり事業による「ふれあいスポーツの里」の建設事業により、陸上競技四百メートルトラックを持つ多目的の広大な運動場、テニスコート、開閉式の屋根付きの水泳プール、武道館を含む屋内運動場などが主として本校生徒が使用することを目的として建設されています。

母校が益々発展し、生徒一人ひとりが、知・徳・体の調和がとれ、個性豊かな人間に成長していくよう微力ながら努力していきたいと考えています。

(安達町立安達中学校教諭)

 

自然に育まれて豊かな心を

酒井千春

 

ら身を乗り出して軒下のつららを素手でつかみ取り、口に含みながら再び温かい

 

子供のころ、お風呂に入っていると、「ホッホー。」とフクロウの鳴く声が毎晩のように聞こえてきた。冬の寒い日には、お風呂の窓から身を乗り出して軒下のつららを素手でつかみ取り、口に含みながら再び温かい

 

 

 


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