教育福島0177号(1994年(H06)02月)-023page
お湯につかる。これが私の楽しみであった。
私の生れ育った家は、南を除いては竹や木の林に囲まれていた。春には畑一面に咲く菜の花の美しさに息を呑んで立ち尽くしたり、そこに飛び交うモンシロチョウを何十匹も捕まえたりした。秋には、木々の紅葉の美しさに見とれ、紅葉を見ながらまわりの道を歩くことも楽しみであった。また、わが家は、犬、猫、ニワトリなどを飼っていた。中学時代は自分の朝食をとらないことがあっても動物にはエサを与えてから登校していた。振り返ってみると、私は四季折々の実に豊かな自然の恵みを受けて育ってきたことかと、今更ながら感謝したい気持ちになる。
自分が生まれ育った町で幼稚園教諭をしている今、このような自然とのふれあいのすばらしさを子供たちに感受させたいと願いつつ保育を続けている。
幼稚園では、ウサギ、ザリガニ、カメ、アゲハの幼虫などを飼い、子供たちとかわいがって育てている。園外に散歩に出かけることも多い。田畑や野原に行くと、子供たちは実に様々な発見をする。稲刈りの終わった田んぼでは、落穂の殻をはぎ、「あっ、お米が入っている。」と取り出しては、こわごわと口に含み、その固さと味気なさに気付く。風の強い日には、うなる風音に驚きながらも、その強い北風に身をまかせ、たこのように右に左に飛ばされては、一瞬フワッと浮きあがる感じを味わって、「キャー、キャー」と声をあげて喜んでいる。
四月当初は「散歩は疲れるから嫌。」と言っていた子供も、体力がついてくると、この散歩を心待ちにするようになる。そして、回を重ねるごとに目的を持った探険活動へと変わっていく。保育室の中とは違った表情が見られるようになってくる。
環境の変化に伴い、人や自然との関わりが少なくなっていると言われる昨今、我が園児たちも戸外で自然と共に遊ぶ体験は少ない。しかし、園でのこれらの体験の積み重ねをきっかけにして、自然への気付きが増えてきているように感じられる。大きくなっても自然と親しみ、自然とのふれあいを通して豊かな心を育んでいってほしいと願ってやまない。
(矢吹町立中畑幼稚園主任教諭)
想いのままに…
鈴木浩一
随想の「随」は「したがウ」と読み「 のままに」という意があるという。つまり、随想とは「想いのままに」ということかと納得してリラックスして筆を執る。
「想う」という作業は、厄年を過ぎてから多くなったように思えるのは私だけであろうか。以下、脳裏に浮かぶままに列挙したい。
一つ目。飲み屋さんに何も言わずにヌッと入ってくる人が多くなった。他人の家に入るのである。あいさつをするのが当たり前である。最近、大人になってもあいさつを満足にできない人が増えてきた感がある。折角の美酒がまずくなってしまう。子どもは、言わずもがなである…。最初の出会いは、気持ちのいいあいさつで始まりたいものである。
二つ目。映画館に出掛け、入館する。自分で料金を支払い、自分の世界に入り込む場所である。しかし、期待はすぐさま裏切られる。映画を見る前に企業広告が放映される。お金を払ってまで、なぜ広告を見なくてはならないのか。料金と関係があるのか。強いて確認はしていない。
三つ目。国体後はどうなるのかという不安と期待である。「ふくしま国体」は総合優勝とともに、県内各地域を活性化させ終了すると予想される。福島県においては、県民あげてのイベントとしては過去最大のものである。何事においてもすばらしい成果が期待される。物心両面において無駄にすることはない。
現段階においても、施設.設備はかなり整備されてきた。福島県になかった施設が各地に造られてきている。しかし、各地域に全ての競技施設があるわけではなく、特定の地域に特定の施設が設置されてあるのが現状である。それらを宝の持ち腐れにしてはいけないと切に思う。
次に、人材面を考えると、各競技とも日本を代表する選手が入っており、各競技団体と一体化して国体に向けて精力的に活動している。国体終了後も、福島県のスポーツ振興に寄与していただきたい。本県を離れる人もいらっしゃるでしょうが、その人の持っているトレーニング方法.人間性等を必ずや残してくれることと信ずる。次の世代への貴重な財産である。我々関係者は、真摯な態度で受け継がなければなるまい。