教育福島0178号(1994年(H06)04月)-022page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

その言葉どおり、師は情熱的な講義を展開していった。

今になって、あのとき師は、司書の卵である私達を、同志として激励してくれていたのだということに思いあたる。

当時、「青春」とか「情熱」という言葉は別の世界の出来事のように思っていたが、たまたま『青春』の詩のレファレンスを受け、それを機会にこの詩を読み返したが、なるほどそういうことかと、自分なりに納得した。

どの様な内容の本でも同じである。最初に読んだときはよく分からなくても、時間をおいて再読すると、よく分かったり、分かったような気がしたりする。その逆もよくある。要するに同じ本でも読者がおかれた状態や心境の変化などによって、読みとること、読みとれることが違ってくるのだ。

人の言葉も同じである。

「図書館の本を借りるのには、料金はいくらかかるんですか」

今年に入ってから何度目かの図書館利用者からの問いである。

図書館の利用はまだまだ普及していないし、図書館の本が無料で利用できるということさえ知らない人が、意外に多いのではないだろうか。

サムエル・ウルマンは同詩の中でこう言っている。

「理想を失うとき初めて老いる。」

これから先、図書館は二十一世紀に向けて生涯学習の拠点としての重要性が増大するだろう。それに従い、コンピュータ導入、情報化社会への対応など、さまざまな課題を抱えている。その中で、理想の図書館を目指し、それを作っていく甘貝として努力して行きたいと思う。

この様なことを考えていたら、急に恩師を訪ねてみたくなった。

(福島県立図書館司書)

 

いのち

陣野千代子

 

ら帰ってくると、待ちかまえたように「ニャア」といっては、まとわりついた。

 

三年前、我が家に真っ白い猫が誕生した。九才になる娘と五才になる息子は大いに喜び、「たま」と名づけ、ご飯を食べるときはひざの上に、夜はふとんの中にとそのかわいがりようは大変なものであった。「たま」は「たま」で、子どもたちが学校から帰ってくると、待ちかまえたように「ニャア」といっては、まとわりついた。

ところが寒い夜のある日、こたつの中に入っていた「たま」は、一酸化炭素中毒で、炭火の上にころげ落ち、背中に体の三分の一ほどもある大やけどをおった。体の皮ははがれ落ち、赤い肉がむき出しになり、見る目も痛ましかった。さっそく獣医を呼んで診てもらったが、

「猫のやけどはなかなか治りにくいんだよ。助からないかもしれない。」という言葉に、子どもたちはひっしの思いで、血みどろの背中に毎日薬をすりこんだ。そのかいあって、「たま」の背中に薄皮が張り始め、助かるかも知れないという希望を持った矢先。またしても、こたつに落ちたのだった。

それでも、子どもたちはあきらめなかった。根気強く薬を塗っていたが、いつしか春となり、陽気が暖かくなると「たま」の背中からはうみが流れ、はえが群がるようになった。悪臭もひどく、部屋の中は、流れたうみでしみができた。隣近所の人たちは、「どうせ助からないのなら、いっそ捨ててしまえばよいのではないか。」と言ったが、子どもたちは決して捨てようとはしなかった。背中に触るたびに、流れ落ちるうみに顔をしかめながらも、薬を塗り続けた。しかし、子たちが学校へ行っている間に、ばい菌が内臓に入り、とうとう「たま」は息絶えた。

その夜から、ふとんに入る前は必ず亡くなった祖父の写真の前で「おじいちゃんお休みなさい。」を言っていた子どもたちの言葉に「たまちゃんお休みなさい。」が加わった。

子どもたちの心に、このときほど生きることの尊さと命あるものへの慈しみの心が培われたことは、なかったのではないだろうか。

その長女も今では、中学一年生。いつの間にか「たま」への祈りの言葉は聞かれなくなった。しかし、決して長女の脳裏から「たま」の面影が消えたわけではない。

忙しい日々の中で、人間として大事にしなければならないことをつい忘れがちな私が、子どもたちから教えられたできごとだった。「心の教育」が叫ばれる今日、身近なところで起きていることにどれだけ自分がかかわれるか、かかわろうとするかが、大切なのではないだろうかと思う。

(棚倉町立棚倉小学校教諭)

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。