教育福島0178号(1994年(H06)04月)-023page
桜前線に想う
菅原恒二
先日、九度目の桜前線とともに初めて担任したH君から素敵な便りが舞い込んできた。
「先生、T大学に入学しました。」
これからも、教員になってよかったといえる仕事をしょうと、新たな決意をする自分を励ましてくれるかのように……。
初めて先生と呼ばれ、気恥ずかしさと責任の大きさに身の引き締まる思いをした九年前、今では先生という言葉の上にあぐらをかいてしまってはいないか、そんな自分に気づきはっとする時がある。あの頃の自分と何ら変わっていないつもりでいるのに……。
長女が生まれてすぐM町の会社に転勤になった。その頃は校内暴力のニュースがテレビや新聞で毎日のように流れていて、この町の中学校でもPTAの方々が毎日交替で校内を見回っている状態だった。いずれ小学校にも波及するのではないかという不安の声も耳に入ってきた。
「この子は数年後には学校に通うことになる。こんな環境の中で大切な時期を過ごさせてよいのだろうか。」私の膝の上で笑っている我が子を見る度に、自分の少年時代のような、のびのびと楽しい学校生活を送って欲しいと祈るような気持ちが日毎膨みはじめた。
そんな私の心を知ってか、友人が数冊の本を届けてくれた。それは、ある教師の実践書である。子供たちの為に何かしてあげれたら……。毎日子供たちと一緒に生活することができる仕事ができたならどんなにかよいだろう。当時何の願いもなく大学に通い就職したいい加減な私が、読後に味わった新鮮で強烈な気持ちだった。
それから半年後に会社を辞め、教職につくことを目指した。「保証もないのに何を考えているのか。」と周囲から言われたが、「自分が今後歩むべき道はこれしかない、死ぬときに後悔しない人生を歩みたい。」という思いに私は夢中だった。父母は「おまえの人生だから好きなようにしなさい」と。妻も、私のわがままを許した。
二年間アルバイトをしながら通信教育で教員免許状を取得し、三年目に採用通知がきた。その間の生活は大変だったが少しも苦にならなかった。夢に向かっていたからだろうか。
今私は、未来に生きる子供たちを相手に教育することの喜びと難しさに悩む毎日であるが、充実した日々を送っている。自分の経験が子達たちの中に息づき、何年か先には必ず子供たちの心の中に、自分との出会いが生きてくることを願いながら。
(いわき市立久之浜第二小学校教諭)
LETS推進中
本間稔
戦後の高度成長期の中で物質的な豊かさが優先し、子供たちを工業化社会により良く適応させるという社会優先の考え方が教育の世界にも蔓延し、人間そのものも個人として見なされなくなった観があった。その中で若者の勤労意欲やボランティア精神は必然的に失われ、国際化・高齢化社会を迎えるに当たり大きな問題となってきた。
昨年度より会津坂下町が勤労体験学習総合推進事業(LETS)の地域指定を受け、本校がその推進校として勤労・奉仕をタイトルに掲げ学校・家庭・地域社会の教育力の結集を図り事業に取り組み始めた。学校全体での町内美化活動、自分たちの手による造成活動、学年を単位とした商店、工場、福祉施設等での実習、クラスでの各種体験教室など今までの学校の枠を超えた新しい教育活動を盛り込んでいる。
ドイツの哲学者ルドルフ・シュタイナーは「成長過程に在る人間、つまり子供に対してやれる最大のことは、人生の最適な時期に、自己というものを認識させ、それによって自由の体験へと導くことである」と説き、その理念に基づくシュタイナー学校では、教育の学習と並んで、各学年毎に農業、林業、心身障害施設での実習及び工場実習を行い、世界観形成に役立たせているという。教育理念はことなるが、我が校が今ま