教育福島0178号(1994年(H06)04月)-026page
だからしかたがなかったのであろう。
「今日は、校長先生は部長、教頭先生は課長と呼んで、絶対に先生と呼ばないようにしよう。」
旅先での話である。
「どうして、何も悪いことをする訳でもないのに。」と心の中でつぶやいた。教師になったときに感じた「先生」と呼ばれることの恥ずかしさから逃れたいという感じとは、違う意味あいがあった。教師という職業人としての素晴らしさや誇りを捨ててしまっていた。
教師が教師であることを一時でも忘れて、自由人として振る舞いたいという心の表れなのか。「旅の恥はかき捨て」とばかりに、何かをしたいという願望の表れなのか。しかし何か空しい感じがしてならなかった。
それでは、「自分はどのような生き方をしてきたか」と自問すると、決して誇れるような道を歩んではこなかったという結諭が出てしまうので、恥ずかしい限りである。
「教師は、教えるプロである。」プロであり続けるためには、日々の研修が必要不可欠である。今、この学校に勤めることができて幸せと思うことは、研修体制が確立していることである。「先生と呼ばれるほどの…」等と皮肉られても誇りと自信を持って対応できる教師でありたい。
(福島市立第四小学校教諭)
桜梅桃李
五十嵐正彦
私の所属する絵画サークルは「ぶどうの会」といい、会津坂下町を中心に活動しています。
「ぶどうの会」のメンバーは、農業、美容師、建設会社の社長、魚屋、銀行員、看板屋、教師など職業は多種多様です。そして、年齢層も幅広く、おおげさに言えば、社会の縮図といった感じです。
定例会は第二、第四月曜日の月二回で、他に写生会なども行います。好きとはいえ、仕事の後にもう一仕事というのはなかなかつらいものがあります。この定例会を一度も休まずこつこつと描き続ける老婦人がいます。Hさんは、農業の傍ら、楽しみとして絵を描き始めたそうです。いつもにこやかで控え目な振る舞い。決して気負わず、一つ一つ丁寧に筆を進めていきます。その絵は、上手下手を越えたとても大切な心を感じさせてくれます。
Hさんは、二児の母親。襖に画用紙をはって、いつでも描けるようにしているそうです。その人物画は、柔らかなタッチと微妙な色合いで見る者を強く引き付けます。Hさんは、
「賞を取る意欲が弱いと言われるけれど、やっぱり、どこまでも自分らしく描きたい。」
と話してくれました。
どのような環境下でも絵は描けるし、絵を描くことはどこまでも自己表現であることを感じます。
生徒の中には、自己を上手に表現できずに苦しんでいる者が少なくありません。S男もそんな生徒の一人でした。家庭環境に恵まれず、愛情を求めるS男。学校を抜け出すこともたびたびでした。そんなS男にも得意なことがありました。絵を描くことです。S男と二人で美術室にこもり、大作に挑みました。全紙サイズ一杯にクレパスと水彩で描きあげたその絵を、満足そうに見つめるS男、みんなにほめられ、照れ臭そうに笑うS男でしたが、それは自信に満ちた笑顔でもありました。
このS男の姿を見たとき、不思議と「ぶどうの会」で絵を描く自分の婆がだぶって見えました。同時に、絵を描くことが自分にとって大切なことだと思えたのです。
「ぶどうの会」という学校を離れた人とのかかわりの中で、自分自身を見つめ直しています。そして、作品が一つでき上がるたびに、新しい自分との出会いがあります、自分らしく生きるということの意味が、少し分かってきたような気がします。「桜梅桃李」−私の好きな言葉です。桜に憧れず、梅は梅らしくきれいな花を咲かせれば最高の人生と考えています。
(三島町立宮下中学校教諭)
随想
高橋みちる
平成六年四月六日、あたたかな春の日。教職について二度目の第一学期の始業式を迎えた。朝のすがすが