教育福島0179号(1994年(H06)06月)-024page

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たできごともありました。例えば、校内クラス対抗行事の練習で進学コースなのに就職を希望するコースの人達から温かいアドバイスをしてもらったこともその一つです。これは進学コースの生徒達が懸命に目標に向って努力している姿が、他のコースの生徒達にも十分理解され、「努力することの大切さ」がクラスやコース別の差別感を生じさせなかったことの大きな原因と思われます。もちろんこれには、いろいろな先生方が折にふれた指導助言、具体的には、生きることの最大の目的は世のため人のために尽くせる人間になることで、進学するのはそのための一手段にすぎないこと、「人も良かれ、我も良かれ」の精神でお互い助けあい協力しあうことが大切であること、目標の学校が決まったら合格するために最大限努力すること、目標は高い方が良いこと、やれば出来るのだという積極的な気持ちを持ち続けることが大切であることなど、さまざまな形でくり返し教えてくださったことが大きいと思われます。教室にはいつも「熱意を持って行動するならどんなことでも必ず実現する」ということを掲示し、これを合言葉として指導してきたつもりです。

十八歳の人口が過去最高という年にめぐり合わせたことは不遇ですが、合格率はいつもの年と変わらず、内容的には良い成績を上げ、また惜しくも涙をのんだ生徒達も再度、再々度の挑戦でほとんどが希望する方向へ進学することができました。生徒達の持っている無限のエネルギーに今さらながらのように感動し、このような活気あふれる生徒達と出会ったことに生徒と共に喜び、これからもこのような出会いをしたいものと思っております。生徒たちの前途に幸多かれ!と祈りながら。

(県立相馬女子高等学校教諭)

 

なぜ、方言を調べるのか

小林初夫

 

であり、最近特に多い。そして、私もまた、それに同調する者と思われている。

 

私が方言を調べていることを知る人たちは、「方言が少なくなっているから、今のうちに残す努力をしないといけませんね。」とか「これからは地方の時代ですから、方言で堂々と物が言えるような教育をすべきですね。」などと口をそろえて言う。これらの人たちは、方言復興に熱心な人たちであり、最近特に多い。そして、私もまた、それに同調する者と思われている。

誤解である。私が方言を調べるのは、次の理由からである。

マスコミ等の急速な進歩に伴い、共通語化が進み、方言が急速に衰退しつつある現在、後世のために現時点での方言の実態を記録し、記述しておくことが大切だと思うからだ。しかし、それは方言を復興させるためではなく、将来の研究者のための資料づくりである。録音に文字化資料(共通語訳・注つき)を付け、さらにビデオで記録しておけば、将来にわたり歴史的研究が可能であると考えた。

研究の方法としては、方言が消滅するかも知れないといって、わざわざ辺地の農山漁村を歩きまわって古老を探すという消極的な方法では、すぐに行き詰まってしまうので、共通語化の現状を肯定しながら、今後予想される変化の様子を客観的にとらえる必要があり、そのために私は特に、言語流動化の主役である若い世代の言葉に着目している。若い世代の言葉の実態をとらえて分析し、彼らが大人になり、活躍する年代になった時、どんな言語社会が形成されているかを予測するのである。このことは、高橋宏明博士の著作「年輪の研究」からヒントを得たことであるが、年齢が何百年、何千年という長い期間にわたる気象の変化を教えてくれることに驚いたと同時に、年輪という過去のデータをじっくり調べることにより、将来の気象変動の予測ができるということを知り、感動した。このことを国語学に結びつけて考えると、方言研究にそっくり当てはまり、新しい視点が見えたのである。

方言の研究イコール共通語化の研究にもなる。そして、最近よく言われる「ことばの乱れ」が、言語変化の一連のプロセスであることや、本県にみられるような無アクセント地帯において、なぜアクセントが崩壊したのかを推測する手がかりも得られると思う。

研究はまだ緒についたばかりであるが、私のライフワークであり、時々教室で話す方言の交じった話に目を輝かせて聞き入ってくれる子供の姿を想像しながら取り組んでいる。

(小高町立小高小学校教諭)

 

 

 


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