教育福島0179号(1994年(H06)06月)-026page

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える。そして、教室に友達がそろって朝の会を始める時間になったのに職員室から出ようとしない

それまで、お利口さんだったのが、うとんじられるような存在に変わってくる。同じようなことは、他の子どもでも出会うことなのだろう。

子どものしていることが違ったものに見えてくることはよくあることだが、それは教師の子どもの見方が変わっただけなのかも知れない。

また、発達に遅れのある子どもは、次への変化までの時間が長いようである。何とか次の目標到達までの期間を短くしょうといろいろ工夫をする。しかし、あせって働きかけると、

子どもにとっては目標に到達したばかりで、先の変化の重みを引きずっていて、教師が用意した簡単と思う課題に取り組めないこともある。子どもとのかかわりにおいては、子どもの見方について振り返り、教師の一方的な働きかけや間違った解釈は無かったか反省する必要がある。

それに加え、自分の判断が正しいかどうかを同僚の先生方や保護者に問いかけるとともに、意見を素直に受けとめるようにしたいものである。

(教育庁養護教育課主任指導主事)

 

初任者研修から学んだこと

道喜珠美

 

きましたが、本校では、若い先生方の世話をするという逆の立場になりました。

 

私の教員生活も、いつの間にか、現校行仁小学校を含め、二十五年目と長くなりました。本校に赴任する前までは、どの学校でも先輩の先生方にかわいがって頂きましたが、本校では、若い先生方の世話をするという逆の立場になりました。

本校に赴任して三年目のこと、初任者研修制度が発足し、S先生というフレッシュな女の先生を迎え、お世話をすることになりました。採用の際、弓道四段の腕前ということが新聞で報道されただけに、闘志あふれる仕事ぶりに私も圧倒されるほどでした。三年生というわんぱくざかりの子供たちの中に入り、つらいことも笑顔で乗り越えて余裕のあるところは、さすがと思いました。

そして、次の年は、男のE先生を初任者として迎え、引き続き私が、初任者の担当になりました。第一印象は、若いのに大変落ち着いていらっしゃると思いました。学生時代に音楽を勉強されたということで、着任後、音楽教育にも熱心に取り組まれました。七夕音楽祭での指揮ぶりは、私達職員も魅了させられました。

さらに翌年の平成三年度には、I先生というやはり男の先生を私達の学年に迎えました。この年から、初任者研修の担当者は、担任外となり、本校では、教務主任の先生があたることになりました。私は、I先生の学年の主任として協力する役割を果たすことになりました。先生はスポーツ万能でしたので、子供たちにとって憧れの先生となりました。三、四年生と二年間、I先生に指導して頂いた子供たちは、今、行仁小のリーダーとして活躍しています。

初任者研修制度も軌道に乗り始めた平成五年度、私にとって四人目の新採用の0先生と学年を組むことになりました。初め出会ったS先生と同様、小さい体にファイトいっぱいの先生でした。物事に動じない堂々とした様子に、先生の人生経験の深ささえ感じました。また、援業が巧みでしたが、その秘密は、教材研究の熱心さと、子供の心をしっかりとらえることの上手な先生の不思議な力にありました。

私が若い先生から学んだことの一つは、教師には、何か一つ、人には負けないものを持つことの大切さです。若い先生方に対して厳しい批判の声も耳にしますが、少なくとも私が出会った行仁小学校の先生方は、どの先生もすばらしい個性をお持ちで感心することが数多くありました。私も若い先生方に負けないように自分の道を誠実に歩みたいと思っております。教育という共通の目的のために

(会津若松市立行仁小学校教諭)

 

子どもから学ぶこと

鶴巻正子

 

「先生、できました。」

 

「先生、できました。」

「ぼくもできた。ぼくの先、見てください。」

取り組んでいる問題は違います

 

 

 


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