教育福島0180号(1994年(H06)07月)-007page
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三十五年 宮城県公立学校教員
三十八年 福島県立田島高等学校教諭
四十年 福島県立飯坂高等学校教諭
四十四年 福島県立福島工業高等学校(定時制)教諭
五十年 同 (全日制)教諭
五十六年 福島県教育庁高等学校教育課管理主事
五十九年 福島県立四倉高等学校教頭
六十一年 福島県教育庁総務課主任管理主事兼行政係長
六十二年 同 主幹
六十三年 福島県立遠野高等学校長
平成 二年 福島県教育庁高等学校教育課長
三年 福島県教育庁教育次長
五年 福島県立福島高等学校長
なく、晩成した大器に驚くこともない。彼は彼、我は我である。たとえ小器であろうと凡人であろうと、わが人生は一回限りのかけがえのないものであり、共に一個独立の人格としての価値はなんら変わるところがない。問題はどれだけ自分を愛し人生を大切にするかにかかっている。自ら諦めず、自らを思い捨てぬことこそ肝要なのである。
人間はプライドを捨てたとき、そこから無限の堕落がはじまる。フランスの格言に「自分を虫けらと思っている者は人に踏みにじられる。」というのがあるが、まず自分で自分を尊重することが大事であることを教えたものである。
小器なのに案外自分を愛さず、自らを粗雑に扱ってしまうから、いつまで経っても中器にも大器にもなり得ないのである。凡人は短時間に異彩を放つことなど、はじめから無理な相談である。だからじっくり時間をかけ、徐々に自分を磨きあげることが大切である。勿論そういう意味では、人間錬成は一生の大事業であり、生涯学習といわれるゆえんもそこにある。要するに人間一生勉強である。そのためにはよほど自らを大切にし、健康で根気強く頑張らなければ挫折してしまう。
努力して築きあげた人物は、一朝一夕で得られるものではないが、小器こそ晩成して大器たりうる、実に楽しいことではないか。
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入学式で式辞を述べる筆者
提言
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