教育福島0180号(1994年(H06)07月)-023page
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随 想
日々の想い
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ずいそう
PTA活動を顧みて
津野英行
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「子供が日頃お世話になっている学校へ、恩返しの意味でぜひPTAの役員になっていただきたい。」という半ば強引な誘いでPTAの役員を引き受けて、今年で五年目を迎えました。
PTAの役員を引き受ける以前は、PTAの内容も全くと言っていい程わからず、子供の教育に対しても、学期末に学校からもらってくる通信簿の評価を見て、我が子を評価していたものでした。
しかし、この五年間のPTA活動を通して、多くの校長先生をはじめ、教育関係の方々と出会い、その出会いの中で多くの事を教えられ、勉強させられたように思います。
中でも、ちょうど三年前、私が郡山PTA連合会の会長職を引き受けるかどうか悩んでいる時、Y校長先生に、「津野さん、会長職というのは誰でもよいというわけではないんです。やりたくてもできるもんじゃないんです。前向きに物事をとらえてがんばってください。応援します。」と励まされ、一時の迷いがふっきれ、なぜか勇気が湧いてきたことが心に残っています。今でも、PTA活動やそれ以外の事で悩んだりした時、前向きに物事をとらえるという校長先生の言葉を思い出し、「さあ!がんばろう」という気持ちになっております。そうすると、心が晴れ晴れというか、大きな気持ちになることができます。
また、先生方の子供の教育に対する情熱にふれる度に、私自身の我が子に対する見方も大きく変わってきましたが、子供から見た父親像も変わってきたように感じます。「子は親の背を見て育つ」と言われておりますが、私がPTA活動を行っている姿を見て、一番上の女の子が小学校を卒業する時、「お父さん、がんばってね。」と、初めて声をかけてくれました。私はこの時ほどうれしかった事はありませんでした。その夜は、家の中の100Wの電球が、20倍にも30倍にもの明るさに満ちているように思えました。
PTA活動は、私を大きく成長させてくれたように思います。PTA活動に携わって本当に良かったと思っております。
(福島県PTA連合会会長)
鮫川村に来て
田渕人司
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鮫川村に来て二度目の夏を迎えようとしている。思えば去年の今頃は、教師生活一年目、右も左もわからぬまま、正直言ってこんなに忙しいのかと自分の運命を呪い、昼はパソコンのイロハを教わり夜は自動車学校通いという日々を過ごしていた。
何度も弱音を吐きながら今まで続けてこれたのは家族的な雰囲気の職員室、そして何より先生方が見放さずあきらめずお世話して下さったことの賜物にほかならない。
最近やっと少し心にゆとりが出てきて改めて周囲を見回してみると、「さめこう」のような学校は他にはないことに気づく。現在村内の要職におられる方々は、「さめこう」の卒業生も多く、「村に高校あり」と誇りに思っている。それで村民の多くが本校を「鮫川高校」あるいは「さめこう」と呼びならわし、まず分校という言葉は使わないほどなのであ
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