教育福島0180号(1994年(H06)07月)-024page
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る。つまり地域の期待を担った学校という風情なのだ。
さて、「教育が過疎を助長する」などという発言も聞かれる昨今だが、だからといって教育は地方から撤退、とはいくまい。都市と地方の格差が広がるし、読み書きソロバンだってまだまだしっかりとやらなければならない。しかもわれわれは今、農業ですら経営的センスが求められる時代を迎えようとしているのである。肥大化した都市の行きづまりが叫ばれて久しいが、これから未来のヴィジョンに夢が持てるのは、地域の活きづいている場所になるのではなかろうか。「さめこう」の役割もこれからかえって大きくなるに違いない。
ところで私は大学時代、モンゴルの首都ウランバートルに住んだことがある。中心街の道端に牛が寝ころんでいたり、パスで三十分も行くと「アルプスの少女ハイジ」の世界さながらの、牧童が羊を追う光景が広がる街だ。そこで考えたことがある。モンゴル人は遊牧で生活を支えてきた。では日本人の支えば何か、と。答えは農耕に決まっているのだが、生まれてこのかた東京・大阪と暮らしてきた自分には、足元がおぼつかない感じがしてきた。
この五月、事務の方のご好意で生まれて初めて田植え(のまねごと?)を経験させてもらったのは、だからとても貴重な体験だったと思う。そのときのことを授業の際に生徒に話してみたら、農家の手伝いをしている生徒でも意外に知らないでやっていることが多いようで、また驚いた。
つき合いも下手で無器用な私だが少しずつ学んで、いつかは生徒と地域の未来・農の未来などを語り合えるようになりたい。今、私は鮫川高校に赴任できて、とてもよかったと思っている。
(県立東白川農商高等学校鮫川分校教諭)
子供と保健室
渡邊サイ子
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傷つきやすく、それでいて恐れを知らず、大きな可能性を秘めている子供たち。未知への希望や夢をあふれるほど抱えながら数々のハードルをとびこえて、時にはっまずきながらも、日に日に大きく成長している子供たち。
そんな思春期の子供たちをパートナーにして十八年になります。何年たっても保健室には、たくさんの子供たちが集まってきます。なぜ?…きっと、保健室があいまいな空間で養護教諭というあいまいな人間がいるから、緊張せずに気楽にやってこれるのでしょう。
しかし、保健室は子供たちにとって、いつまでも「居心地のいい場」であってはいけません。本来、子供にとって、自分の教室が一番「居心地がいい場」であるべきです。それが、いろんなトラブルやストレスがあって教室に自分の居場所がなくて保健室にやってきます。
心の問題を抱えている子供たちは「私は心の問題で…」とは言いません。頭痛や腹痛の身体症状を訴えます。「何かありそう」と思っても、それを性急に指摘しないで、やさしく聞くことによって、しだいに子供たちが背負っている家族の問題、友人関係をめぐってその心のしこり、いじめなどがみえてきます。この時点で担任の理解協力が必要です。
ほとんどの場合、子供たちは自分の心の弱さをあたため、存在を認めてくれる大人の存在によって、自然に立ち直り、いつの間にか保健室を卒業し教室へ戻っていきます。(なかには、奥の深い深刻な問題もありうまくいかないことがありますが…)
学校の中には役割分担があると思います。「学級のことはすべて担任が!」という気持ちは分かります。しかし、ひとりで抱え込んでしまうことには無理があると思うのです。
子供たちが保健室にいたがるのはほんの一時期で、そのうち教室へ、担任のもとへ必ず帰っていきます。それを一日も早く教室へ戻れるように援助するのが保健室の役割だと思っています。
私は、今とても居心地のいい場所で仕事をさせていただいています。「養護教諭でよかった」そう思えるのも、まわりのみなさんに理解され、支えられているからだと思います。このことは、子供たちにとっても共通することだと思います。
これからも、ひとりひとりの子供を大事にし、子供が体で語り発しているサインを見逃さずに受け止めることができる柔軟な感性を持ってやっていきたい、と思っています。
(田島町立田島中学校養護教諭)
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