教育福島0180号(1994年(H06)07月)-025page

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さわやか集団への想い

齋藤  宏

 

にし、人のためと郷土社会のため、国家と世界のために尽くす事を誓います。」

 

「私は、青少年赤十字の一員として心身を強健にし、人のためと郷土社会のため、国家と世界のために尽くす事を誓います。」

これは、青少年赤十字(JRC)メンバーの誓いの言葉です。小・中学校では聞き慣れた言葉かも知れませんが、高校では残念ながら、耳にすることが出来るのはほんの僅かな人々ではないでしょうか。私はJRC部の顧問を担当することになってこの誓いの言葉の持つ意味と、その重みをつくづくと心で感ずるようになりました。正直言って、顧問なりたて当時の私は、JRCを字句としてしか知らず、顧問としては不安でいっぱいであり「一年だけなら…」と思っていました。あれから八年目、今ではJRC部の顧問ができることは、なんと幸せな事だろうと思っています。それは「近頃の若い者は他人のことはおかまいなし」と言われている世の中で、「人のためと郷土社会のため」と堂々と人の前で誓い、人の前でゴミを黙々と拾い、ボランティア活動をするさわやか集団と接する事ができるからです。JRCは、赤十字の精神「人道」のもと、日常生活の中で望ましい人格と精神を自から形成することを目的に、自主的で地道な活動をしています。この活動は、二十一世紀を担う生徒の育成を目指す学習指導要領の趣旨にも沿った活動となっているのです。

しかしながら、平成五年度JRC指導者協議会での高等学校反省として、「顧問がメンバー増強に力を入れていない。」「指導者養成に管理職の理解が欲しい。」等の点があげられました。JRC活動に対して、「顧問の積極的な関わりがなされていないのではないか、顧問はこのJRC活動からしりごみさえしているのではないか」と思えてなりません。

高校のJRC活動は、部活動がほとんどであり、学校単位で活動している高校はたったの五校に過ぎません。学習指導要領に沿った教育活動を進める上で最適なこの活動を、より多くの生徒が参加できる組織的な活動にしたいものと考えています。

今日、県営「あづま総合体育館」で行われた県JRCリーダーシップトレーニングセンターの研修を終えて帰ってきました。生徒たちは積極的に参加し、「奉仕とボランティア・サービスとは違う」と建設的な意見を出し合い、楽しい中に有意義な時間を過ごしました。彼らの満足した顔つきで福島を去って行った後姿を見ると、このさわやか集団のためにも我々指導者がもっとしっかりしなければと心に誓ったところです。

(県立福島東高等学校教諭)

 

きっと、父

菅本小夜子

 

夏八月、「わたし」は、広島駅で、母子と再会し、初めて、自分の名を名乗る。

 

初めて、今西祐行作「ヒロシマのうた」と出会ったのは、国語の現職教育事前研究だった。−原爆が投下された直後の広島。その惨状の中で、復日作業に従事していた「わたし」は、瀕死の状態の母親の胸の中で泣いている赤ん坊をみつけ、偶然行き会った夫婦にその赤ん坊を託す。終戦から七年後、ラジオの尋ね人の放送を介して、その時の赤ん坊が無事育てられていることを知り、夏八月、「わたし」は、広島駅で、母子と再会し、初めて、自分の名を名乗る。

「ぼく、稲毛です。」と−

父だ!それはもう、確信に近い思いであった。私の旧姓が「稲毛」であることなど、無論誰も知らず、事前研究は進み、終わった。

大発見の喜びと興奮で家にとんで帰り、私は父に「ヒロシマのうた」を差し出した。読みながら父は一瞬驚きの表情を見せたが、日頃の父らしくなく歯切れの悪い調子で、自分は広島に無関係であると言った。

嘘だ。随分昔、父の古いアルバムの中に水兵姿の父を見つけている。写真の下に書かれた地名も、広島に近い所だった。そう言えば、父は、広島や原爆のことに殊更、無関心を装い、その類いのTV番組から目をそむけていた様に思える。

私は、若き日の父を知らない。け

 

 

 


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