教育福島0180号(1994年(H06)07月)-027page

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幼稚園賛歌

大西久子

 

あるとき、M子が

 

あるとき、M子が

「先生、わたし大きくなったら、学校の先生になるの。」と話しかけてきた。

どうして学校の先生なのかとたずねると、

「学校の先生の方が、幼稚園の先生より偉い。」ということであった。

どうも、幼・小・中・高と学校が進むにしたがって、教師の格も上がるという母親たちの会話から出てきたようである。

「先生は、幼稚園がいいな。みんなと歌を歌ったり、遊んだり、お弁当を食べたり、楽しいことがいっぱいあるもの。」と話すと、M子はにこっとして、

「じゃあ、わたし、幼稚園の先生になる。」と言って、走っていった。子どもたちは、色々な話をしてくる。それが私たちをどきりとさせたり、にっこりさせてくれたりする。

そんなとき、私は本当に幼稚園の先生になってよかった。幼稚園の先生でよかったと思う。

以前、ある新聞に、「幼稚園の先生は、まるで心理学者のようだ。」と書いてあった。幼稚園の先生は、幼児のちょっとした行動や表情から、健康の様子、友達関係まで把握してしまうからだそうだ。

できるなら、私はそこに「幼稚園の先生は、芸術家のようだ。」も加えて欲しい。

真っ白い園児のキャンバスに、一番初めに色を染めていく私たち。その子を美しく、夢と希望のある明るく楽しい色で染めていくことを常に考えているからだ。

幼稚園の先生は、現代の女子のなりたい職業と結婚したい職業の上位にあげられている。理由は、かわいい子どもたちに囲まれ、楽しそうに見えるからのようだが、現実はどうであろうか。

園児の世話はもちろん、大工さん電気屋さんと一人何役の大忙しの仕事だ。でも、子どもたちの精一杯がんばっている姿や、友達と助け合っている姿に出会うと嬉しくて、やりがいのある仕事だと思う。私は、

一、幼稚園の先生は、おごりを持たず、常に公平であろう。

二、先入観を持たず、新鮮な瞳で保育にあたろう。

三、何か一つ得意な分野を持とう。

を自分の保育の指針としている。

おっちょこちょいで、どじな私だが、職場の先生方や園児と一緒に、これからも、幼稚園の先生として頑張っていきたい。

(白河市立五箇幼稚園主任教諭)

 

指導教員として

齋藤芳信

 

あったと思うが、数ヶ月後の初任者の成長ぶりには、目を見張るものがあった。

 

本校には毎年のように初任者が着任し、そのつど指導教員が熱心に指導している姿を何度も目にしてきた。時には、放課後遅くまで研修することもあり、初任者、指導教員の苦労は大変なものがあったと思うが、数ヶ月後の初任者の成長ぶりには、目を見張るものがあった。

私は、今年度初めて初任者研修指導教員に任命された。研修項目も多く、すべてに熟知していない私にとっては、責務を全うできるかどうか不安でいっぱいであった。

四月の教科指導に関する研修会のことである。「これからは、私たちが経験してきた授業ではなく、新しい学力観に立ち、一人一人の力を伸ばす授業をしていくことが大切なんですね。」と初任者が言う。「古い学力観とはどんなことか。」と訊ねると、「教え込みや暗記中心で得た知識の量を比べる学力ではないか。」と答える。新しい教育について何も知らないと思っていた私は、驚いてしまったが、この会話をきっかけにして新しい学力観に立った授業の進め方についての研修が大いに深まった。

五月に入って、「コンピュータを使って『情報基礎』の学習をしているが、操作についての質問が多く、一

 

 

 


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