教育福島0180号(1994年(H06)07月)-050page

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ふるさと探訪

 

県指定重要文化財(古文書)

示現寺文書 一八通

所在地 耶麻郡熱塩加納村大字熱塩字熱塩甲七九五番地

所有者 示現寺

 

示現寺はもと空海が創建し、永和元年(一三七五)源翁心昭がこれを曹洞宗に改めて中興開山したと伝えられる。示現寺文書一八通はこの名刹の中興開山以後、寛永二十年(一六四三)保科正之の会津入部に至る間の文書で、示現寺の中興に関するもの、藍名一族三浦太郎丸氏の動向を知らせるもの、示現寺に対する藍名氏の外護と十五〜十六世紀の盧名氏権力のあり方、地域の農民及び武士と示現寺との関わり、示現寺の子院の経済の動きなどが示されている。さらには近世初期の会津領主蒲生氏郷と秀行、会津藩祖保科正之の寺領寄進文書もある。

これら示現寺文書は、南北朝期から江戸初期にわたる示現寺及び中世盧名氏の歴史を明らかにする多彩かつ貴重な文書群で、保存状態も良く極めて重要なものと認められます。

七里ガ浜遠望図とともに、平成六年三月三十一日付けで県重要文化財に指定されました。

 

県指定重要文化財(絵画)

 

県指定重要文化財(絵画)

七里ヶ浜遠望図 一面

所在地 会津若松市城東町一番二十五号 県立博物館

所有者 須賀川市東町三十一番地 大橋史和

 

この図は鎌倉七里ヶ浜を遠くから眺めた景色を描いたものです。構図や賦彩からみて西洋画の遠近法と陰影法に習って描かれており、おそらく司馬江漢の寛政八年(一七九六)の制作になる「相州鎌倉七里浜屏風」や「七里ヶ浜図」、「富獄遠望図」などの作品の影響を受けたものと思われ、その制作時期は田善の江戸滞留時代(寛政十年(一七九八)〜文化十一年(一八一四)頃)の早い時期と見られる。

この図における田善の西洋画法の習熟度は、種徳美術館所蔵の「七里ヶ浜図」が写実に富んでいるのに比してやや概念的であり必ずしも高いとは言えないが、田善の修学期における試行的な肉筆洋風画の作品として作風展開の上で占める絵画史的意義は大きいものがあります。

なお、田善は寛延元年(一七四八)に岩瀬郡須賀川(現・須賀川市)に生まれ、文政五年(一八二二)同地で没しています。

 

 

 

 

 


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