教育福島0181号(1994年(H06)09月)-024page

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き消すかのように塗りつぶした絵を掲示してしまったこと。その時には皆と同じにさせなければということだけで、子どもの気持ちを理解する余裕するなかった自分を今、思うと、「ごめんなさい」と言う気持ちで一杯である。

今般の教育要領の改訂で幼児自ら取り組む遊びを大切にする保育へ転換したが、長年培かってきたものをすぐ変えることは容易なことではなかった。何鱗学級でま≧誓ったことをしていると安心いう気持ちが先行して、ダンスやゲームなどを皆で楽しむ活動として取り入れていた。発達段階や遊びの傾向を考慮していたつもりだが、園長から見れば不自然に映ったのであろう。指導案の片隅に「幼児一人一人が楽しんでいるか」と赤ペンで書き込まれていた。その時の私は「子供は一緒にやっているのに、どうして」と疑問を持ったが、「親の意見と冷酒は後できく」の如くであった。幼児に何かをさせようとするのではなく、今「何をしたいのかという気持ちで幼児の動きや遊びを見だとき、一人一人に対する自分の願いが見えてきた。自分の心にゆとりが感じられるようにな久幼児の育ちを信じて待つことができると、自然に学級の中で皆が一緒に取り組めるようになっていることに気づくことができた。

毎日の生活の中で、「人一人の言動やまなぎしの中から教師に発信しているシグナルを敏感に感じ取り、共感できる教師になるために、自分の姿勢や行動を絶えず反省しなければならないと感じている。

幼児教育は木に例えると、記憶にすらなくなるような目立たない根っこの部分だと思う。しかし、幼児にとって幼稚園は初めての社会生活の場であり、先生は初めて出会う家族以外の大人である。そこで営まれる生活は正に人間の根っこを形成していることを思うと、責任の重さを感じる。「教育は人なり」と言われるが、日々反省をしながら、自分の後姿に責任の持てる教師になるように努力をしていきたい。

(川俣町立富田幼稚園教諭)

 

長年の夢

小林貞雄

 

たち一人一人に充実した学校生活がおくれるようにするのが私の長年の夢です。

 

私には、二十年以上持ち続けている『夢』があります。それは、大学生の時、教育社会学という講座を受講して芽生えたものです。はじめは、どのような内容を学ぶのか、全然わかりませんでしたが、講義を受けていくうちに、いろいろな調査を通しオ教育の中身を分析していくものであることを知り、大変興味を覚えました。教育社会学の手法を活用し、子供たち一人一人に充実した学校生活がおくれるようにするのが私の長年の夢です。

幸いにも、最近教育社会学を大学で再度研修する機会に恵まれ、授業分析や子供たちの行動分析、調査の仕方などについてさらに詳しく学ぶことができました。

その内容の一つは、コミュニケーション論で、授業の中でどうしたら子供たち同士が分かり合えるか、授業が深まらないのはどこに原因があるのかを、教師と子供、子供たち同士の意見や発表内容など、言語を媒介にして追求、分析していくものです。二つには、子供たちの人間関係を生育歴や校内、校外での生活から分析していくものです。三つには、学校の全領域にわたり、子供たちの行動は何によって規定されているのかを、日常の観察やインタビュー形式での聞き取り調査をもとに分析、研究していくものです。

この研究を通して、子供たちの話し合い活動では意見や発表内容など、個々の考えを尊重して聞いたり、質問したりすることによってお互いがよく理解し合えることや子供たちの行動には、物の見方や考え方のもとになる背景や子供たち同士のルールなど目に見えないコードがあり、そのコードが変わらないと子供たちの行動は変わらないということが分かりました。

この研究の成果を生かすため、授業では、子供たちの発表の場を確保し、発想や考えを大切にして授業を進めたり、評価結果を分析して学習過程や支援の仕方など、改善に努めています。また、生徒指導では、問題行動の現象面にだけ目を向けるのではなく、行動傾向やその背景を記

 

 

 


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