教育福島0181号(1994年(H06)09月)-028page
今、思うこと
高宮文枝
今年度は、教職に就いて四年目を迎え、初めて三年生を担任することになり、進路のことを考えるとつい肩に力が入ってしまう日々を送っている。
一学期の期末テストも終わり、夏休みを迎えようとする頃、保護者との学級懇談会が開かれた。私の学級の生徒数は四十名、出席された保護者の方は三十名にのぼった。全員が母親であった。私自身、かなり緊張しながら、一学期の全般的な反省や夏休みの過ごし方の概略を説明した。さすがに受験を控えた子供を持つ親だけあって、学習に対する取り組みについて、質問が殺倒した。懇談会の最後に、現在保護者が抱えている子供に対する悩みを、一言ずつ述べてもらうことになった。お母さん方の悩みには、多少のニュアンスの違いはあるが、我が子を心から心配し、気遣い、そして進路への不安を感じながらも、共に悩み、努力しようとする強い意気込みが感じられた。私は、それを聞きながら、日頃、自分自身が抱えている悩みと共通していることを実感した。自分だけが悩んでいるのではないということが分かり保護者と共感し合いながら「頑張らなくては。」と身の引き締まる思いがした懇談会であった。
新採用からまたたく間に過ぎた四年間であったが、最近私は、「教師」としてではなく「人間」として、どのように生徒と関わるべきなのかを悩むようになった。私は今まで「こうすれば、こうなる。」というような身勝手な期待を持って生徒に接してきたような気がする。だから自分の期待通りにならないと納得できず、生徒を追いつめてしまう場合も少なくなかった。自分が「教師」という思いから「指導しよう、型にはめよう。」と必死でもがいていたのかも知れない。
進路について真剣に取り組み始めた生徒を前にして、彼らは何を考えどんな悩みを持っているのだろうか、それに対して私は何をすればいいのか思い悩む日が続く。しかし、今自分が為すべきことは、生徒が置かれている現実を受け止め、一人一人の持つ弱さや可能性を見つけ、認めてやることである。そこから私自身がどのように生徒と関わるべきかが見えてくるように思う。
今年度は、私と生徒にとって大切な一年になるだろう。目先のことだけにとらわれず、お互いにもっと大きな視野に立って、人間として何が大切なのかを学びながら、将来の生き方につながる進路を真剣に考えたいと思うこの頃である。
(郡山市立郡山第五中学校教諭)
育てる心
菅野幸夫
酸性の土地には、スギナ・スズメノテッポウ・アゼトウガラシが多く生え、中性・アルカリ性が強くなると、それらは姿を消し、ハコベやイヌノフグリなどが代わって多く生えてくる。まさに、植物は正直に自然に対応した育ち方、生き方をしている。
休業日や日曜の朝などにネコの額ほどの「菜園」を手入れしている。いうなれば「日曜農業の入門生」というところである。少し早く起床し、すがすがしい朝の空気を胸いっぱい吸いながら、成長する野菜類をながめるその気持ちは、恋人に逢いに行く胸のときめきにも似たものさえ感じる。ストレスなどの居すわりを許さない爽やかなひとときである。ちょうど学級担任が朝の時間に生徒一人一人の表情から、今日も元気に登校している姿を感じ取ったときの気持ちに似ている。しかも、その野菜の育て方でかんじんなのは「育てる心」である。自然現象やまわりの環境にはもちろんのこと、植え付けをする時期、手入れの時や加減、肥料の施し方、どれをおろそかにしても