教育福島0181号(1994年(H06)09月)-027page
日々子どもたちと活動していると目立たない子が、そっと校庭の片すみにころがっていたボールを片付ける姿を見つけたり、ころんで泣いている小さい子を上級生がいたわっている姿など感動的な場面を目にすることが多い。
子どもに原因を求めるのではなく私たち、というより私自身心の美しい大人になるための努力をしていきたい。
(会津若松市立鶴城小学校教諭)
教育は毎日が
種蒔き
湯田恒弥
大学時代の恩師の言葉の中に今でも脳裏に焼きついているものがある。『教育に情熱を持て!』・・手抜きをしないで教える事に情熱を持て!『研修を怠るな!』・・先生をやって同じ事を何度も教えていると、何でも分かったようになるが、以外と分かっていない。なぜそうなのか・・なぜ・・と何度か繰り返せば必ず分からない事に出くわすはずだ。謙虚に学問しなさい、と。
昭和五十一年四月に待望の工業高校の教員となってから、はや十八年の年月がたちました。
この間、何度となく自分の思うような教科指導や生徒指導にならず悶々とした日々を送ったこともありました。果たして自分のやっていることが生徒や社会のために役立っているのだろうか?
私の中で「高校生はこんな風に成長して欲しい。こんな社会人になって欲しい。」という思いがあっても、それが生徒たち全てに受け入れられるものではない。それどころか、生徒たちのいたずらな行動に振り回される日々の多いこと、その度に、自問自答の繰り返しです。
しかし卒業して数年後、学校に顔を見せに来てくれたり、会社訪問等で立派に働いている姿を見ると、悩み苦しんだ日々が一瞬のうちに消え失せてしまう。
それにも増して嬉しい事は、結婚式に招待される事です。「先生、俺も嫁さんもらうようになったよ!嫁さんを見に来て下さい。」と言われると、会津の奥深いところに住んでいる事も忘れて、どんなに遠くても「喜んで出席させていただきます。」と答えてしまう。
結婚式は人生の一大儀式。彼等がどんな家庭を築き上げようとしているのか?宣誓の式であろう。本人の晴れ姿を見ているとこちらまで背筋がピンとなってくる。高校時代に関わった事が、彼の成長の一翼を担っていると思うと喜びも倍になる。
そして結婚式には必ずといっていいほど新郎の友人である教え子も大勢やってくる。こういう場での彼等との話はもうすっかり大人同士。肩を並べた話ができるのである。こんな時「この仕事をやっててよかったな」ととしみじみ思うのである。
数年前、ある父兄にパチンコがどうして流行るのか問われたことがある。私が首をかしげていると、「それはね、チューリップに球が入るとすぐに褒美の球がたくさん出てくるから」と言われた。私はなるほどと思った。そして、教育の仕事は、これとは逆だなと、その時に感じた。
高校の三年間で生徒たちに拘わった事の結果が出るのは、一年後か何年後か分からない。ひょっとして出ないかもしれない。でも今、拘わって種を蒔いておけば、いっかきっと芽が出て花が咲くであろう。それを信じながら毎日、水を絶やさないように時々肥料を少し加えて植物を育てる気持ちで、この仕事を続けていきたいと思っている。(県立喜多方工業高等学校教諭)