教育福島0182号(1994年(H06)10月)-025page
でいるのではなく、むしろ岩がシーシュポスを運んでいるのかもしれない」と思えてきたのである。
解釈は視座や態度により異なるものであり、これは一つの仮想に過ぎない。生徒は岩とは違うし、教師の職務はシーシュポスの苦役と同質ではない。そんなことは言うまでもない。ただ、長い夏休みの終わりに、人気のない午後の校舎を歩きながら、〈生徒の不在な場〉や〈生徒の消失する視点〉においては、決して〈授業〉という営みは成り立たないし、生徒一人一人を押し上げようとすることは、同時に生徒によって導かれてゆく過程でもある、ということを考えてみたりしたのである。
(県立小野高等学校教諭)
言葉を通して
粟野睦子
父の仕事の関係で私は栃木県葛生町で生まれ、青森県八戸市で高校を卒業し、東京の大学へ進んだ後、本県の教員になり本宮町・いわき市と移り住んできた。特に十才で八戸へ転校した時は、言葉にとても不思議なものを感じた。
転校と同時に中学生の兄と共に英語を習い始めると、英語の複数形が八戸弁の「□んど」、丁寧な依頼には「□してけんだ」を使うことが分かり、英語と八戸弁を共に覚えるようになった。高校に入学してさらに驚いたのは、三沢の米軍キャンプから来ている同級生がスラスラと英語を話すことだった。まさしくイントネーションが自分達と違うと思った。さらに一昨年ヨーク・ベニマルのプログラムによりカナダの農場で二週間のホームステイをした。そこでは「OK」という言葉が私達の「はいよ」と同じように、場の雰囲気によって様々に使われていた。
私は英語の教師ではあるが、大学では英語学ではなく国際関係学という、ただ間口が広く、焦点を絞れないような学科を選んだ。教師になりたての頃は、自分の英語力のなさに辟易していたのだが、九年間大学受験を念頭に置いて授業をしているうちに、文法と発音が大切なことは言うまでもないが、文の持つ話題性は入試ばかりでなく人生を支える土台になるのではないかと思うようになった。最近の入試の英文を見ると、文学・芸術・経済・政治・社会・科学・スポーツと多岐多様である。以上のような理由から、現在担当している二年生では、クラス担任全員の協力を得、週番を活用して、入学当初から「朝自習」と称し、二十行位の英文を一日目は和訳、二日目は添削というサイクルで繰り返しながら、色々なジャンルの英文に触れさせている。その日の朝自習のテーマは、生徒は勿論のこと、職員室の学年コーナーの話題になる。夏休み前まで九十の英文を読んだ。この効果が模試の成績に表われてくれれば何よりだが、生徒が柔軟性のある思考が出来、状況に応じた判断が出来るようになることを私達は期待している。
夏の球技大会で二年のあるクラスの総合優勝を祝って、自発的に学年全体が作った、あの大きなウェーブ。夏休みの学習合宿の合い間に歌った二曲のアメリカン・フォークの歌声。今年の甲子園に久々に出場した母校八戸高校の同級生監督談話の懐しい響き。どんな言葉も表現も、自分の主張を持っていれば美しいのではないだろうか。海綿のようにどんどん知識を吸収してゆく生徒達に、言葉の楽しさを知ってもらいたいと思う。
(県立磐城女子高等学校教諭)
ゆとり
室井伊久男
温泉と渓谷の里、下郷町湯野上の江川小学校において郡内各地より会員の参加を頂き、七月二十三、二十四の二日間、平成六年度福島県PTA指導者研修会・第十八回南会津郡