教育福島0182号(1994年(H06)10月)-027page
「うん、だって、先生、全然変わってないもの。」
と彼女。
一瞬喜んだものの、次の瞬間には教師として成長のないことが見抜かれたように思ったのは、考え過ぎだろうか。
とはいえ、三十代が永遠に続くわけではない。もともと楽観主義の私は、三十代があと数年で終わろうとしている今、あの時の先生の言葉を「今が勝負だよ。いっぱい勉強して蓄えなさい。」という励ましの言葉として受け止め歩みたい。
それにしても、自分の無力さを反省し、もっと勉強しなければと繰り返し思う今日この頃である。
(郡山市立三和小学校教諭)
教え子の電話から
箭内貞男
今から六年前、初任地での教え子の一人から電話がきた。
「先生、A高に合格したよ。平成七年の八月十五日にクラス会をやるから予定しておいて。先生、大丈夫だよね。」
その時は、あまりにも先の長い話で返事に困ったが、今になれば来年のことである。
小学校を卒業する時、「十年後にクラス会をやろう。」と、クラスのみんなで約束し、タイムカプセルも埋めた。今も私の家の庭に埋められている。あの時、どこに埋めるのか迷っていたので、「先生の家でよければ、いいよ。」とは言ったが、はっきりしないまま卒業式になってしまった。その年、私も転任することになった。その春休みに子どもたちが、須賀川から泉崎の私の家まで、自転車で突然やってきた。十数名が代表で、全員のカプセルに入れるものをかごに山積みにして持ってきた。二時間余りもかかったそうで、
「本当に持ってきたのか。」
と思わず叫んでしまった。同時に、何とも言えないものが込み上げてきたのを思い出す。
教職に就いて、十二年目。小学校一年生から中学校三年生まで、すべての学年を担任することができた。担任した児童生徒の数も二百八十名を越えた。
じっとしていられず、いたずらや自分勝手なことばかりしていた小学二年生は、友達が吐いてしまったとき、真先に片付けてくれた。恥ずかしくて返事もできなかったのに、小学校を卒業するときには、クラス一のおしゃべりになっていた男の子。いろいろな子どもたちがいて、いろいろに変化していった。それに気づくたびうれしく感じたり、悩んだりしてきた。そんな子どもたちに送ってきた言葉がある。
おれが、おれがの我を捨てて、
おかげ、おかげの恩を立てよ。
周りにだれかがいたから、喜びや悲しみを味わうことができ、成長できたのである。私も多くの子どもたちに出会い、喜んだり怒ったりしながら、すばらしい体験と感動を味わわせてもらった。これまで教えてきたと言うより、教えられてきたと言ったほうがいいかも知れない。
来年の八月十五日に予定されているクラス会。何人が集まるのか、本当に実施されるのかは分からない。けれども、私が庭を見る回数は増えてきた。何年かぶりで顔を合わせ、タイムカプセルを開けて、彼らは、どんなことを思うのだろうか。社会に出て、また変貌した彼らに会える日が楽しみである。
(泉崎村立泉崎中学校教諭)
ある土曜日の夕方のこと
尾形忠吉
最近、大好きな釣りもなかなか時間がなく出来なくなってしまった。
海釣りも好きだが、ここ数年は渓流釣りに魅せられている。
八月のある土曜日の午後に少し時間ができたので、暑さ凌ぎにと思い岳温泉の西側の沢に出かけてみた。