教育福島0182号(1994年(H06)10月)-028page

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もう午後四時を回っており、先行者もいることだろうし、この時間からでは釣れるわけはないと思いながらも、仕度をして沢に降りてみた。

降りてみると、この日照り続きで沢の水量は極端に少なく、釣れそうなポイントはほとんど無い。それでもややひんやりとする沢を、楚々とした風情の野草などを眺めながらのんびりと登りはじめてみた。

途中二、三のポイントで竿を出してみるが、案の定当たりは無い。

ふっと足元の石を見ると、水に濡れた人の足跡がある。すぐ前に先行者がいる様子である。これでは釣りにはならない。帰ろうかと思ったがもう少し涼を楽しみたかったし、先行者の釣果も気になったのでさらに登ってみた。

すぐに三人の人影が見えてきた。一人は女の子でビクを持っている。あとの二人は盛んに石にへばりつき、ずぶ濡れになって何やらやっている。近寄ってみると素手で岩魚を捕まえているのである。

あいさつを交わし、ビクを覗いてみるとなんと四十センチ近い岩魚が一匹と三十センチ近い岩魚が二匹、その他に二十センチ級が数匹いる。

びっくりしたのと巨大岩魚の美しい姿に出会って声もでない。

岩魚を追い求めている者でないとわからないのかもしれないが、一度は釣りたいと思う大物。感激である。三人連れは、おじいちゃんに連れられた孫二人であった。

一人は中学三年生の女の子、もう一人は小学六年生の男の子であったが、その三人連れからは、何とも言いがたい微笑ましさが漂っているのである。いい感じなのだ。

そこにおじいちゃん(お孫さんがそう呼んでいたのでそう呼ばせていただく)からは「今年は水が少なくて釣りはだめ、一緒に掴み取りをやりませんか」という誘いである。

また、驚いた。なぜなら釣りにしても魚取りにしても、自分の領域に赤の他人が入り込んで来るのを極力嫌うはずなのだが、このおじいちゃんと孫二人はニコニコしながら一緒にやろうと言うのである。

あの巨大岩魚を見せられてからは私にためらいはない。二つ返事で傍観者から仲間に変身した。

しかし、掴み取りの準備はしていない。直ぐに温泉街にもどり、軍手を買い求め、沢を登って合流した。

一緒に始まったものの、私の手に魚は当たらない。おじいちゃんに種々の手ほどきを受けたが、そんなに簡単にはいかないらしい。

登り始めて間もなく、砂防ダムにぶつかる。一匹も掴んでいない私を思ってか、おじいちやんは「せっかく友達になれたんだからもう少し下流をやりましょう」という。

もう六時近い。それから約一時間、男三人の岩魚掴みが始まった。さすがにおじいちゃんがうまい。小学生の孫も最近大分捕れるようになったとおじいちゃんは目を細めている。

中学生の女の子は、いつもビク持ちらしいが、結構ポイントを知っていて弟に指図している。

結局私は、おじいちゃんが石の下の奥深いところで押さえていた岩魚を「感触を味わってみな」と言われて掴ませてもらったのが最初で、自分で掴んだのは一匹だけであった。

沢から上がると、今度は、捕った十数匹の岩魚を全部持っていけという。なんという人たちなのだろう。

見ず知らずの私に、川を案内し、魚の捕り方を教え、捕った魚を全部持たせてくれるおじいちゃんと孫二人。

私はこの二時間の間に、人の出会いの大切さ、失いかけていた本物の親切心や家族の絆の大切さなどを再確認せざるを得なかった。

三人の温かな心に触れ、私自身の心が洗われると同時に、頭の中はすがすがしさでいっぱいになっていた。

このお孫さん二人も、おじいちゃんの姿を見て育ち、きっとおじいちゃんのような心の持ち主になるのだろうと思うと、ひとりでに心が和み、二人の顔を見て微笑まずにはいられなかったのである。

家路についたのはもう七時を回っていた。

夕食をしていると、電話がなり、「今、私も岩魚を焼いてビールでやっているところですよ。天然物はおいしいでしょう。また一緒にやりましょう」とおじいちゃんからであった。単純ですぐ感激する私には、とても嬉しく、また心が温まる爽やかや夕暮れの一時であった。

(保健体育課主任指導主事兼保健係長)

 

 

 

 

 


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