教育福島0182号(1994年(H06)10月)-050page

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ふるさと探訪

ソ、整理・復元された縄文時代中期中葉の土器と伴出した土偶が指定されました・>

<P>県指定重要文化財(考古資料)<P>石生前遺跡出土品 一括<P>所在地 河沼郡柳津町大字柳津字諏訪甲五九<P>    柳津町中央公民館芸術文化資料館<P>所有者 柳津町<P>柳津町郷戸字石生前の只見川下流右岸の上位段丘上約百メートル四方にわたる広大な遺跡から、昭和三十年代に新潟県地方を中心に分布した「火焔型土器」と通称される馬高式系統の縄文土器が出土し注目されました。<P>その後、昭和六十一〜六十二年度の発掘調査によって縄文時代中期前葉(五千年前一から後期中葉一三千五百年前一にかけての十器、土偶等の土製品、磨製石斧と石鏃、石錐、石匙等の打製石器が出土しました。特に縄文時代中期中葉(四「五百年前一に属する土器には東北地方南部に分布する大木式系統や馬高式系統、さらに、双方の特徴を併せ持つもの、少数ながら関東・中部山岳地方の土器を思わせるものがあり、会津における東北地方と北陸地方などの土器文化の接触、融合を示す極めて重要なものであり、造形的にも優<P>れております。<P>今回は出土品のうち、整理・復元された縄文時代中期中葉の土器と伴出した土偶が指定されました。<P>
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県指定重要文化財(歴史資料)

絹本著色恵日寺絵図 一幅

所在地 会津若松市城東町一番二十五号 県立博物館

所有者 恵日寺

この絵図は、室町時代初期の作とみられ、巾の狭い絵絹を四枚継ぎ合わせ恵目寺境内を主として図示している。寛文の会津風土記には「恵日寺図」、正徳六年(一七一六)恵日寺五六世実賀の記録には「当山古絵図一紙」、文化の新編会津風土記には「当寺永正古図一幅」などとも記されています。

主題である恵日寺境内の金堂・根本堂・両界常その他の諸堂宇の配置がかなり正確に図示されてあり、その建立当時の偏角を「示唆していま

す。しかし、境内を囲む周辺部はこの寺の鎮守磐梯明神の本宮がある磐梯山や南河沼の藤倉二階堂のほか、多数の子院の遺跡も含み、さらに、北は小城峰(磐梯町と北塩原村の境)、東は湯達沢一猪苗代町押立付近)、西は赤枝(磐

梯町赤坂)にも及んでおり、それらの地理的位田は正確ではないが、古い寺社絵図の特色を示しており、会津地方での僅少な中世資料として貴重なものです。

石生前遺跡出土品とともに、平成六年三月三十一日付けで県重要文化財に指定されました。(昭和十五年二月二十三日付け国の重要美術品に認定)


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