教育福島0183号(1994年(H06)11月)-023page
随想
日々の想い
ずいそう
忘れられない一言
山田賢一
指導には、迷いや悩みが多く、時には逃げてしまいたい衝動にかられることもある。特に若い時のほろ苦い経験は今でも忘れられない。
「先生」と呼ばれることに戸惑いながらも無我夢中の日々を送っていた教職一年目、学級のスピーカーが壊される事件が起きた。名乗り出てくれるものと気軽に考えていたところ何の反応もなし。年齢も近く、信頼関係はできているものと信じていただけにショックは大きく、生徒たちに不信感を抱くようになってしまった。
そのことにこだわり続けている間も、自分としては、生徒を以前と同じように愛し、誠意を持って指導に当たっていると思っていた。
ところがある雨の日、自転車置場で自転車の整理をしていたら、「先生ってやさしいんですね」という言葉が背後からかかった。生徒のその思いがけない言葉に一瞬ぎくりとした。生徒にとって私は、厳しい教師としてしか映っていないことを感じさせられたからである。もっとやさしく接してほしいという願いのこもった,言だったにちがいない。
別の学校では、マラソン大会に参加を渋る生徒に対し強く参加を呼びかけた。そのことが大きな問題を引き起こそうとは予想だにしなかった。「どうして先生は参加できない生徒の気持ちを分かってくれないのですか」と、自分のことのように涙ながらに訴える友の表情を今でも忘れることができない。私は担任として、多くの体験を通し多くの思い出を残してほしいからと懸命に説明した。しかし、理解を得るどころか火に油を注ぐ結果となってしまった。
それから一ヵ月程生徒との会話が途絶え、笑い声の響かない学級になってしまった。解決の糸口も見い出せないまま八方ふさがりの状態になっている時「山田先生らしくやって下さい」と書かれた一枚の賀状を手にした。急に厳しさが増した姿に、本来の持ち味を出してください、と言いたかったらしい。弱みを見せてはいけない、と意固地になっていた時だけに衝撃を受けた一言であった。
自信をなくしたり、迷い苦しんでいたりする時、生徒の一言で光明を見い出すことがあった。それは今でも忘れられない一言として大切にしている。
不登校、学力向上など教育界の課題は多い。まもなく教職二十年目、経験年数にふさわしい、しかも子供たちにとって勇気づけとなる言葉を発することができる教師を目指していきたい。
(会津本郷町立本郷中学校教頭)
初心
石井里香
私の将来なりたかった職業。花屋さん、スチュワーデス、教師、婦人警察官、弁護士、青年海外協力隊員と覚えているものもあれば、一時だけ思ってすぐ忘れてしまったものまで、数えあげれば十本の指では足りないぐらいである。ほとんどは、テレビの影響で憧れていたものである。でも、その中から小学校の教師を選んだ。いろいろな理由があるけれども、子ども好きの自分に一番合っている職業だと思ったことが、第一の理由である。
四月初め。自信とやる気を持って赴任した。しかし、その自信や希望も、少しずつ無くなってきてしまい、反対に不安や心配が増えてきていた。当たり前のことだけれども、毎