教育福島0183号(1994年(H06)11月)-024page

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日が「初めてのこと」ばかり。これも私の仕事なのか。こんなことをしなければならないのかと、毎日小さなことにも驚きを覚えることばかりだった。教師の仕事の想像と現実の違いを感じ、これから教師としてやっていけるのかどうかと、不安になっていた。

そんな頃、Yちゃんがこんなことを言ってくれた。

「先生、来年、一緒に家庭科できるといいね。」

私は、四年生担任。その日、家庭科の調理実習の話をしながら、給食を食べていた時のことだった。このYちゃんの言葉は、カーテンが閉められたように暗かった私の目の前を「パッ」と明るくしてくれた。空気が抜けてしぼみかけた風船のような私の心に、新しい空気を入れてくれた。

そして、その時、私は決心していた。この子たちが一年後に、来年も石井先生に教えてもらいたいと思ってくれるような教師になることを。これまでも、こんな教師になりたいという理想は抱いていたが、この時ほど強く思ったことはなかった。

半年間を振り返ると、反省することばかりである。根気強く子どもの発言を待ってあげることもできないし、子どもが意欲をもって臨める授業もできていない。毎日が反省することばかりで、落ち込んでしまうこともあった。でも、そのたびにYちゃんの言葉を思い出している。

Yちゃんが、何気なく言った言葉。本人でさえ、言ったことを今はすっかり忘れてしまっているに違いない。でも、私はずっとこのYちゃんの言葉を忘れることはないであろう。

これから、何年たっても、私を初心に戻してくれる言葉になるような気がしている。この言葉を胸に、先生方のご指導を受けてがんばりたい。

(矢祭町立内川小学校教諭)

 

教育の周辺で

小野俊彦

 

拝見した際、その何とも言えない作風に強い感銘を受けたのがきっかけだった。

 

過日、陶芸を生業とされている方の工房を訪れた。以前、ある画廊でその方の作品を拝見した際、その何とも言えない作風に強い感銘を受けたのがきっかけだった。

書道は平面上に表現されるものだが、一本一本の線を見てゆくと、その周囲の余白に奥ゆきが感じられることがよくある。

平面と立体という相違はあるものの、その陶芸家の作品からは暖かく、ゆったりとした音楽が響いて来るように感じられた。

工房を訪ね、本人にお会いして率直な印象を申し上げると感謝の言葉とともに意外な答えが返ってきた。

「私の作品は年配の方々からは、この地古来の伝統を踏襲していない、異端だ、と言われているのです。」と。

詳しい内実は門外漢である私には分からない。陶芸の世界にはそれなりの事情があるのだろう、と自分自身を納得させ工房を辞した。

必ずしも芸術の世界のことに限らないだろうが、伝統が普遍性に結び付いている場合と形骸化している場合があるように感じられる。伝統を大切にすることは時として形にとらわれるという結果をまねく。形は精神の具現化であるとするならば、伝統を尊重することは即ち、作品に対持する際の精神を尊重する、ということになる。

ここで芸術教育を考える際、普遍的妥当性という主題は非常に大きな意味を持つものだが、普遍的妥当性を作品の属性としてとらえてしまうと、制作活動は形式の踏襲の枠内に納まってしまう。だが、時の流れの中で日々刻々と移りゆく人間の精神活動は停まることはない。書道に限らず、有形、無形の制作活動は胎動と変貌の繰り返しがなされているのではないか。

学校教育、という現場での私たちの取り組みそのものはどうだろうか。

芸術教科は「芸術の教育」「芸術による教育」というとらえられ方がなされる。この二つの枠組みを越え、人間の「在り方生き方」が普遍的妥当性を持つ状態、即ち「芸術としての教育」を考える時、もはやこれは芸術教科の領域に停まらない。

先達の培ってきた伝統をどの様にとらえ、現代に活かしてゆくか。これからの社会を担ってゆく子供たちに蒙を啓く存在としての我々の「在り方生き方はどうあるべきなのか」が今後ますます問われることだろう。

まずは自身を俎上に載せ、自己を啓発することを念頭に置きながら芸術科担当教師の道を歩み続けてゆきたいと思っている。

(県立須賀川高等学校教諭)

 

 

 


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