教育福島0183号(1994年(H06)11月)-025page
三人の同級会
矢吹富美子
「先生、同級会をやるからぜひ出席して下さい。」と電話で招待を受けた。耳を疑い、何度か相手を確かめたが、確かにA中学校で特殊学級担任をした時のT君なのである。中学校を卒業して二十年、彼は豆腐屋の従業員として、仕事を変えずに勤めている。このT君が音頭を取り、K君とS子さんと三人で会をやるという。私は日々の生活に追われ彼らとの連絡もとらずにいたが、よく忘れずにいてくれたと、受話器を置いてから大いに反省をした。待ちに待った盆の十五日、彼らは会場に集まり、拍手で私を迎えてくれた。彼らの姿を見た途端目頭が熱くなり、当時の教室の様子が目に浮かんだ。教室は六名、障害を持っていた。T君は言語が明瞭でなく、よだれが出ていた。K君は明るいが思考することが苦手で多動であった。S子さんは気がきくが、物事の分別がつかず周囲を巻き込んで騒ぎを起すことが多かった。その彼らが笑顔でお膳の前に座り、この会を進めようとしていたのである。
「これから特殊学級の同級会を始めます。」これが開会の言葉であった。私はドキッとした。彼らは社会に出てからも特殊学級で学習したことを忘れてはいなかった。杯を交しながら「もう特殊学級といわなくていいよ。」と諭し、彼らの話を聞いた。T君は豆腐の配達に行くと小学生に通せんぼされ、からかわれたこと。K君は那須の現場で左官として働いていること。S子さんは三児の母親として忙しいこと等々。
話ははずみ、当時の懐かしい話となった。何時間もかけて、やっと組み立てた印刷学習の活字版をT君が足をひっかけて、あっという間に全部くずれてしまい、みんなでがっかりしたこと。漢字と計算の学習は毎日やったこと。弁当を持って町の名所旧跡を歩いて回ったこと。彼らは当時の私の仕種を真似しながら楽しそうに話す。
この学級は二年間の担任であった。その短い期間の思い出を彼らはしっかりと詰めていたのだ。彼らが身振り手振りで話す姿に過去の自分を見るようではずかしくもあったが、嬉しかった。夢中で彼らに接していた私は、毎日毎日が精一杯だった。しかし、その姿を彼らはよく見ていたのだった。当時の私は大変だったが、やってよかったと思った。思い出話に時がたつのも忘れた楽しい一日であった。
通常学級卒業生の同級会にも何度も出席した。でも今回の同級会ほど私の心を動かし感慨深い同級会はなかった。三人の同級会ありがとう。胸を張って堂々と生きていって欲しい。
(石川町立南山形小学校教頭)
卓球と私
深谷良雄
「先生、ダブルスを組んでくれませんか?」
県卓球選手権大会地区予選が間近に迫ったある日、二年前の卒業生から突然の電話があった。私は、電話口で意外な依頼にとまどっていながら、二年前のことを懐かしく思い出していた。彼らの試合は忘れられない。予選リーグで、もうだめかというピンチを何度もむかえながら、「がんばろう。」「もう少しがんばろう。」と生徒がお互いに励まし合い、声かけ合って準優勝まで勝ち進むことができた。この試合から私は、教師が生徒の力を認めることも大切だが、生徒同士が信頼し合うことで、それぞれが思わぬ力を発揮することを学んだのである。また、勝つ喜びを知ることも大事だ。スポーツに勝ち負けは関係ないとの話をよく聞くが、それは結果であって、まず目指さなければならないのは一戦でも多く勝ち進むことであろう。その勝負に対する執着心を、日々の練習の中で育ててやらなければならない。
ところで、私と卓球との出会いであるが、初任校にさかのぼる。この学校は、常に県大会に出場する卓球の強い学校であった。副顧問としてまず生徒の技術についていくのに苦労した。生徒に追いつけ、追い越せを目標に、一緒にトレーニングをし、多