教育福島0183号(1994年(H06)11月)-026page
球練習をこなし、授業が終わると体育館に急いだ。顧問の先生にとっては、部員が一人増えたようなものだったろうが、卓球のおもしろさと、生徒指導のイロハを親身になって教えていただき、今も大変感謝している。
あれから十数年、幸いにも卓球部の顧問を続けられた。今では大きな顔をして指導しているが、もともとはズブの素人の私である。自分が試合に出ることなど考えもしなかった。しかし、せっかく教え子に誘ってもらったチャンスである。「よしやってみるか。」予選では、一回戦中学生ペアに苦戦しつつもゲームオールの試合をものにした。代表決定戦では高校生ペアを接戦の末破り、なんとベスト16に入り、県大会の出場権を得てしまったのである。県大会では、一回戦で大学生ペアに惨敗したものの、とてもすがすがしい汗をかき、すばらしい充実感を体験できた。
自分が試合に出てみると、なる程集中するのは難しいことだと分かった。相手のレベルが高ければ、緊張のあまり何をしているのかわからなくなってしまう。しかし、日頃真剣に取り組んだからこそ緊張感に耐えられたのだ。
部活動を通して、たくさんの生徒とめぐり会い、卓球のおもしろさを共に味わえたことは、私にとって大きな喜びであり、財産 だと思っている。
(長沼町立長沼中学校教諭)
サッカーと私
植野勝次
サッカーブームと言われている、たしかに昨年のJリーグ開幕時は、日本がワールドカップ初出場をかけて善戦したこともあって、異常な高ぶりがメディアを通じて私たちにも伝わってきた。しかし、今は一部のサポーターを除いて比較的ゆっくり、楽しく観戦する雰囲気になっているように思う。
実は、私もサッカーに関わる一人であって、"狂"はっかないまでもかなりこのスポーツに入れ込んでいる方だと客観的に自分を見つめているつもりである。
そもそも、二人の息子がサッカー少年団で活躍していたこともあって、保護者として応援していたのが、どう間違ってしまったのか、現在サッカーの指導者として十年目を迎えようとしている。
初めは、ある地区で単一小学校の子供を中心にスポーツ少年団を創部、子供たちと楽しんできたが、小・中学生の一貫指導の重要性が判り、三年前に場所を移してクラブチームを結成したのである。現在、数人の指導者にも恵まれ、親の理解も得られ約七十名の部員がボールを追いかけている。
「無芸大食」の私にとって、子供たちとのサッカーを通じての交わりは、いろいろな出来事が次々と起こって、いつも緊張と興奮と感動の日々を体験でき、ある意味では生涯学習そのものである。従って本業一サッカープロショップ一を省みず(?)、週の最も忙しい土・日曜日ともなると、本当に頼りがいのある妻に店を任せて、練習や試合に(後髪を引かれる思いで…ホントに!)出かけてしまうのである。
私をこんなにまでしてしまったサッカーの魅力とはなんなのか。
足取りもおぼつかないボールさばきの小学校低学年、柔らかさと敏捷性が身についてくる高学年、スピードも加わり勝負に目をギラつかせる中学生、一途に目標に向かう一人一人の顔は、あどけないながらも美しく頼もしい。
何と言っても、ゲームの中での攻守の切替えの速さ。ピンチからチャンスヘ、チャンスからピンチヘ、し烈な闘いの中でくり広げられる技術と戦術のしのぎ合い。切れることのない集中力と創造性。目と目、心と心が交錯するチームプレイ。友情と団結。ああ一
なんのことはない。私は子供たちから、多くのことを学んでいるのだ。
(いわき市立平第一中学校PTA会長)
足もとを深くほれ
栗木孝直
足もとをほれ
そこに泉がわく
ドイツの哲学者ニーチェの言葉である。この言葉は十一年ぶりに地元に戻り、教師という仕事をする上で大