教育福島0183号(1994年(H06)11月)-027page
変意味深い言葉となって自分の心の奥深くに残るものとなった。
私の故郷は、南会津郡只見町である。いわゆる秘境奥会津である。十一年ぶりの故郷は、触れるものすべてが感動であった。
春。新緑が芽吹きはじめるのは只見ばかりでない。しかし、山の斜面が急で、川ぞいの集落にせまっている地形のわが故郷では、春はまさしく「緑の火砕流」となってせまってくるのである。それは自然の偉大さであり、人間の思い上がりを.粉みじんにおしっぷしてしまうような畏れを感じさせるものであった。
夏。環境庁による「せせらぎスクール」として伊南川の支流に子どもたちと行った。水着になり、歓声をあげながら水に入っていっては水生生物を採ってくる子どもたち。自分の昔とダブッてくる。昔のガキ大将のような気分になってくる。「これはトビケラ。釣りのえさにするといいぞ。」「先生、でっけえヘビトンボの幼虫だ。」「ヘビトンボってどんなトンボだ。」調査の結果、故郷の川はきれいだった。子どもたちは、昔の私のままのようであった。
秋。昔話の語り部である馬場タニさんを迎えて「民話を聞く会」が開かれた。「ざっと昔あったど」で始まり、「いっちょさけだ」で終わるあたたかい方言での民話は、子どもたちに浸み入っていくようであった。同じ「カチカチ山」の話でも、昔から語りつがれてきたアドリブがちりばめられ、タニばあちゃんの手ぶりや表情に思わず引き込まれてしまった。そこには、絵本やアニメでは味わえない感動があった。
冬。三メートルを越える雪が降る。子どもたちは、スキーを心待ちにし、真っ白になってまた自然に溶け込んでいくのだろう。
現在は、国際化の時代である。しかし、すべての人は、その地域に住んでいるのである。足もとに自信を持つことができなくて、国際化があるだろうか。地球的規模で考え、地域の中で行動していくことが大切なのではないだろうか。 わが故郷の子どもたちのように、自然に、そして地域に溶け込むように生活していくことが大切だ、と感じる今日この頃である。
足もとを深くほれ
そこに生きる自信がわく
(只見町立明和小学校教諭)
猫談義
渡部健吾
私は大の猫好きである。
今はアパート暮らしのため猫を飼えないが、実家では二十八匹の猫を飼っている。
そもそも我が家で猫を飼うようになったのは、私が六歳の時であった。私の六歳の誕生日にもらわれてきたオスの「シロ」という猫。その名前のとおり、真白な猫であった。ところがシロは、どうにも子供が苦手らしくなかなか懐いてはくれなかった。ようやく心を許してくれるようになったのは、彼が十三歳のお爺さんになってからである。名前の由来であった白さはなくなり、牙も抜け、視力も低下し、木に登ることもなくなった。ある日の事である。そんなシロが、初めて家にメスの若い猫を連れてきた。三毛猫のマミである。この猫が非常に愛嬌のある猫で、常にシロに寄り添い、時折甘えているのだろうか体当りなどするのだが、老齢のシロには若いネコの体重を支えるだけの脚力がないと見え、よろめいてしまうのだった。
私が十九歳になった頃、シロは姿を見せなくなった。マミだけが残った。マミは野良猫だったせいもあり決して家の中には入ってこない。そんなマミが、三匹の猫を産んだ。シロがいなくなった寂しさからか、シロの子供だからという理由で、我が家で引きとることとした。その三匹の子猫はすくすくと育ち、そのうちの一匹がやがて子供を産んだ。三匹の猫が五匹になり、五匹も十匹も同じだからと十三匹に増えた。そのうち、余所の家の猫や野良猫までもが我が家に住みはじめ、今では家に、二十八匹もの猫が住みついてしまっている。
猫もこれだけ集まると一つの社会を形成するようで、見ていてとても面白い。人間と同じで、愛嬌のある猫・狡賢い猫・臆病な猫・心優しい猫と性格も様々である。
猫のおかげで、心も和みストレスもやわらぐ、一匹の猫から二十八匹に増えたとおり、楽しさも増えた。思えばこれも、二十一年前に我が家に来てくれたシロのおかげである。
(教育庁文化課主事)