教育福島0183号(1994年(H06)11月)-028page

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新たなる出発

伊東富子

 

と弾力を失いかけている自分のほおを見て、一瞬言い知れないあせりを感じた。

 

夏の暑い昼下がり、午睡から目が覚めた。ふと鏡を見ると右のほおに枕のあとがくっきりとついていた。五分たち、十分たち、こすっても、こすっても、とれない。ハリと弾力を失いかけている自分のほおを見て、一瞬言い知れないあせりを感じた。

私は今年で教職生活三十年を迎える。その教職生活を振り返って見ると、それまでの生徒・学生から一挙に逆転して教師という立場になり、戸惑いながらも教師としての自覚をつかみ、だんだん大人になっていく手答えが感じられた二十代。その年代特有の無鉄砲さで、今でも冷や汗が出るほど忘れられない思い出がある。それは、太平洋を見たことがないという生徒十数人を、バスを乗り継ぎ乗り継ぎしながら故郷の海にたった一人で海水浴に連れて行ったことである。大胆不敵というか、恐れを知らないというか、若さゆえの思い出である。

そして三十代。妻として、母として、嫁として、教師として多忙な中で上手にとはいかないながらもなんとか四役をこなす毎日であった。そんな中、一ヵ月間のアメリカでの英語研修という英語教師にとっては願ってもないビッグチャンスをつかんだ。「何事にも全力で、何事にもチャレンジ精神で」をモットーにしていた私は二歳と五歳の幼な子を残し、アメリカに旅立った。

不惑の年とも言われる四十代。この頃は我が人生もピーク、家庭にも、職場にも恵まれ、仕事も人生も楽しく充実していた。校務分掌事務も自分なりに真剣に受け止め、知恵をしぼって何事にも全力で当たった。生徒への愛着、教師としての誇り、生きがい、教職を自分の天職として受け止めようとするひたむきさ、言いかえると図太さが生まれた。

そして迎えた五十代。生徒と大きく離れてしまった年令の差、若い世代の同僚との考え方の違いは、今までの経験からの小さくこり固まった考え方で、ひたすら努力するだけでは簡単にうまるものではない。五十年という長い時間に培ってきた「ものの考え方」や道徳観もそう簡単に変えられるものでもない。しかし、それを理由に心を閉ざし、なげやりにしてしまうことが一番こわいと思う。常に心を開き、新たなものへの挑戦に勇気を出す。そして、時には生徒、若い同僚と同じ目線で物を見、彼らから新たな考え方やものの感じ方を学び取っていこう。

あの忘れかけていた、生き生きと弾むようなハリと弾力を取り戻すためにも……。

(岩代町立小浜中学校教諭)

 

大切なふれあい

遠藤修

 

私を覚えていてくれたことに、驚きと嬉しさを感じずにはいられませんでした。

 

先日、学校に来客があったときのことです。「遠藤先生ですか?」と若い男性から声をかけられました。大変礼儀正しく立派な様子で、どこでお会いした方だったかと思い出せないでいると、自分のほうから名のってくれましたので、前任校で私が新採用だった年に出会っていたA君だとわかりました。A君は、大学を卒業してから県内の企業に就職し、現在いわき市内の支店に勤務しているのだとか。彼とは、放課後の清掃時間に掃除当番と掃除監督という立場で、月に何度か顔をあわせていただけでしたので、青二才の私を覚えていてくれたことに、驚きと嬉しさを感じずにはいられませんでした。

「教育は、十年後あるいは二十年後に成果が現われればいいのだ」という話を聞いたことがあります。私の中学校の担任の先生が、道徳の授業で「あたりまえのことを、あたりまえにできるようになりなさい」と説いてくれていたことをよく覚えています。当時は意味がよくわからず先生の言うことさえ聞いていればいいという程度にしか考えていませんでした。しかし今になってみれば、自分があたりまえに行動すること、ひいては生徒にあたりまえに行動させることの難しさを実感しています。こう感じるのも、当時の教えのおかげでしょうか。

現在勤務している学校では、単位

 

 

 


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