教育福島0183号(1994年(H06)11月)-029page

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制の高校で、生徒自身が自分で科目を選択して授業を受けています。私は二年次生のクラス担任ですが、実際の授業では、自分のクラスの約半分の生徒としか接していません。ですから、生徒の中には朝のホームルームで一度顔をあわせたら翌日まで会えない、ということもありえるわけです。おそらく「学校を休むな」とか「遅刻するな」とか、当然ながら「もっと勉強しろ」など生徒にとっては毎朝うるさい奴だなとしか思われていないことでしょう。しかし、朝の短いホームルームも生徒との大切なふれあいの時間だと思い、生徒への一言一言を大事にしたいと思うのです。

偶然再会したA君とは、放課後の清掃で駐輪場の草むしりだけのつきあいでした。たぶん「さぼらないでやりなさい」ぐらいの会話しかしていなかったはずです。でも、忘れずに覚えていてもらえるような何かがあったのかも知れません。現在接している生徒たちが、十年後、二十年後にどのような人間に成長しているか楽しみです。出会った時に、「先生にあのときいろいろ言われたけれど、今になるとなるほどと思う」なんて言われたらやっぱり嬉しいだろうなと思います。逆に、現在そう言ってもらえるほどのふれあいを生徒としているのかといえば、疑問が残りますし力不足だと思います。ですが、A君との再会が、私に何か忘れかけていたものを思い出させてくれたような、そんな気がするのです。

(県立いわき光洋高等学校教諭)

 

自然の中で

森絹江

 

「最近少し乱暴になってきたよ、どうしたの?」

 

「最近少し乱暴になってきたよ、どうしたの?」

『いえにかえると、ひらがなのワークをしないとあそびにだしてもらえないんだ。』と悲しそうな顔で答えるA君。

本園では、家庭での学習や習いごとのために、遊ぶ時間が制約されたり、テレビゲームなどでの一人遊びしかできない園児が年々増えてきています。A君の場合も、十分に遊べないことの不満が要因の一つになっていると思われます。自然の中で、体を動かし、友達とかかわりながら遊ばなければならない時期であることを考えると気が重くなります。

ある日のことです。園児たちが、『先生、ケーキをどうぞ』と砂や落ち葉、木の実など自然物を使い、思い思いに工夫を凝らしたケーキを葉っぱで作った皿にのせ、私のところに運んできました。一人一人に声をかけ、できばえを楽しんでいると、木の葉でだんごやかしわもちを作り、友達と夢中になって遊んでいた自分の幼い日を思い出しました。そして、自然は遊びを工夫させる源であり、主体的活動を生み出す偉大な力を持っていると改めて感じました。園児たちに、この時期にしか味わえない遊びを、自然の中でたくさん体験させてやりたいという思いが益々強くなりました。

幸い本園は、園外活動が十分できる自然環境に恵まれた所にあります。初めは、広い野原や田んぼに出かけても、保育者のそばから離れられない園児が多くいましたが、自然体験を重ねるうちに、草花に語りかけたり、バッタやトンボを追いかけたりするなど、元気に活動する姿が見られるようになりました。

『トントン、ハンコください。あきのたっきゅうびんです。どんぐり、あかいはっぱ。もりのくまさんからのおとどけものです。』

園児たちは、それぞれの役になりきり、交わす会話や自然の中から見つけた物を活用しての遊びにも工夫や広がりが感じられます。自然の中での遊びが、発想やイメージを膨らませ、充実した遊びへ発展していくのだと思うとうれしくなります。

これからも、直接体験できる園外保育を意図的・計画的に取り入れ、自然とのふれあいを大切にして、生き生きとした活動ができるようにしていきたい。また、環境構成や援助の仕方を工夫し、園児たちが、今しかできないことを心ゆくまで楽しませてやりたい。そういう思いを持って、明日もまた園児たちと野外に出かけていきたいと思います。

(双葉町立双葉北幼稚園教諭)

 

 

 

 

 


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