教育福島0184号(1995年(H07)01月)-024page

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私は、「精神面で少しでも子供たちの支えとなろう。」と考えました。

平第三小学校の吹奏楽部は、国体の開始式にマーチングを演奏することになっています。そのため、演奏しながら隊形を整えて動く練習を繰り返します。

背筋をまっすぐに伸ばし、足踏みを軽く大きくし、全体の統制をとりながら美しい直線や曲線を描く練習をします。

炎天下の中、重い楽器をもち、汗だくになりながら練習する子供たち。周りは薄暗くなり冷たい風が吹く中もきびきびと隊形を変え、夢中で練習する子供たち。何度練習しても上手にできなくて涙を見せる子供もいます。そんなときが私の出番です。「頑張ろうね。」と励ますことしかできない私ですが、私の声かけに微笑んでがんばってくれます。しかし、「この子供たちのために、私は本当に役立っているのだろうか。」そんな思いが頭から離れませんでした。

そんな私の思いをよそに、子供たちの練習は続きます。練習が始まった時には難しいと思った動きも次第に形を整え、出来上がっていく様子を見て感動せずにはいられませんでした。

いよいよマーチングフェスティバルの当日です。精一杯演奏・演技する子供たちの緊張が私にも伝わってきます。緊張のなか盛大な拍手をもらって終わりました。

「先生、どうだった。ぼくたちのことを心配そうに見ていたでしょう。」

と、緊張も解け、やり遂げた満足感でいっぱいな子供たち。

「とってもすばらしかったよ。」

という私のことばに、喜びを体いっぱいあらわして、抱きついてきてくれました。私のもやもやは、そのとき吹き飛んでしまいました。自分の小さな存在が役立っていると感じたからです。

応援にこられた保護者の方々も感動し、涙を浮かべていました。教員生活一年目にこのようなすばらしい感動を味わえたことは幸せであると思います。

吹奏楽部の子供たちとともに味わった「やり遂げる喜び」を、学級の子供たちとも一緒に頑張ってつくりだしていきたいと思います。

(いわき市立平第三小学校教諭)

 

授業舞台への粋な招待状

大須賀芳雄

 

二十一世紀は文化の時代とも言われる。

 

二十一世紀は文化の時代とも言われる。

今日の変化に富み、豊かな情報の中で、主体性のある学びを通した「知るこころ」と、体験等を通した「感じるこころ」が大きくクローズアップされ、感性教育の必要性が叫ばれていることは嬉しい限りである。

人間が誕生すると同時に神から授けられた五感への問いかけは、それぞれに美しいハーモニーを奏で、生涯を通して美しく味わい深いその人らしい充実した生活を送るために、欠かすことのできないものである。それはまた今日の教育への問いかけでもある。

過日、校種別初任者研修の公開授業の折、郡山市立T小学校において感動的な場面に出会う幸せな機会を得た。高校の心身の成長著しい年代における、主体的な音楽活動を追い求めてきた自分にとっては、心憎い程の素敵な感性を育む展開であった。

それは、四年生の音楽の可愛らしい授業においてである。

子供たちの心が踊る手作り絵画には「不思議な国のカーニバル」とあり、楽しいゆかいなカーニバルへの招待状が置かれている。本時の、はつらつとした音楽活動のためのグループ討論のはじまり…。

これまでの音の組み合わせ工夫の演奏体験を経て、お話づくりで音楽への関心を高め、様々な音や音楽の表現を高めつつ発表会のカーニバルに。共にその喜びを分かち合いながら自信を深めてゆく授業の一コマである。

この日の授業の展開は、一人ひとりの自由でのびのびした意見やアイディアを生かし、個人とグループ集団をできるだけ生かそうとした選曲委員会のようでもあった。その活発さや瑞々しさは、将来の企画運営や演出担当のグループ集団の様相さえ呈していた。

そこには、創意溢れる十歳の頼もしい姿がいっぱいあり、まさに芸術教科の音楽授業を通した、きらきら輝く「楽しい魅力的に生きる姿勢」への感性を引き出す具体的なアプロ

 

 

 


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