教育福島0184号(1995年(H07)01月)-026page

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日本の裏側の子供たち

玉野敦子

 

年間、赤道とアンデス山脈の交差する南米のエクアドルで生活をしてきました。

 

私は、青年海外協力隊の体育隊員として昨年度までの二年間、赤道とアンデス山脈の交差する南米のエクアドルで生活をしてきました。

渡航するまでは、不安と緊張で眠れない時もありましたが、着任当日の人なつっこい笑顔に迎えられ、勇気づけられたことを思い出します。

スペイン語については、約二ヶ月間の語学訓練を重ねていたので、日常会話に困ることはありませんでしたが、最初の授業は、見事に失敗してしまいました。この日のために、スペイン語で授業案を書き、実習生のように何度も復唱し、学習内容や活動を十分頭の中に入れ、万全を期したつもりでしたが、実際は、「四列に並びなさい」と指示しただけで終ってしまいました。自分の力不足を痛感し、泣きたいのをがまんしていると、同療の一人が、「ポコ、ア、ポコ」(少しずつだよ)と私を慰めてくれました。後でわかったことですが、彼らにはきちんとした隊形で整列する習慣がなく、どのように行動したらよいのか理解できなかったのです。子供の実態を無視した授業は、成立しないということを思い知らされました。

「サッカーしか知らない子供たちに、何か新しいスポーツを経験させたい」という思いから、寝具用のスポンジを利用して作ったマットの上で、喚声をあげて運動する子供たち。陸上大会の参加賞として五円玉にひもを通しただけのメダルを受け取り大喜びする子供たち。そのお礼に花壇から花を集め、花束を作ってくれた子供たち。このような姿を見ていると、物の豊かな生活の中で不満ばかり抱えている子供たちより、たとえ貧しくても、驚きや喜びを素直に表現できる彼らの方が幸せであると思いました。文化や習慣の異なるところでは、自分の価値感だけで物ごとを判断してはいけないということも実感することができました。

現在は、南米へ行く前の学校に勤務していますが、「ポコ、ア、ポコ」ということばを大切に、個に応じた指導ができるよう努めていきたいと考えています。また、エクアドルの学校を去る日、「日本に帰っても、僕たちのことを忘れないで」と言って、見送ってくれた子供たちが大人になった頃、美しいアンデスをもう一度訪れてみたいと思っています。

(小高町立小高中学校教諭)

 

日本の裏側の子供たち

 

日本の裏側の子供たち

 

グローバルな視野をもって

斎藤理恵

 

のこの時期は一番寒さが身に染みますね。」という挨拶をこの頃よく耳にする。

 

「今年の冬は暖冬というけれど、大寒のこの時期は一番寒さが身に染みますね。」という挨拶をこの頃よく耳にする。

日本語には昔から、季節感を表すための言葉が豊富で、私たちの日常の挨拶にはこういった季節に関する話題が多い。

二年前になるが、シンガポールに在住する、あるインド人と日本の紅葉について話し合ったことがある。「紅葉」とは秋の象徴であり、生命力に満ちあふれた青々とした木々の葉が徐々に黄やオレンジに変わっていくことであり、多くの日本人はこの色彩の変化を楽しむと説明した。その時に、私は紅葉の美しさも日本人の美意識も彼に伝えることはできなかったばかりか、彼に紅葉を生命力の喪失と解釈されてしまった。おそらく、熱帯雨林気候で生活する彼は、「紅葉」を見たことがなく、初め

 

 

 


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