教育福島0184号(1995年(H07)01月)-027page
て耳にする言葉であったので、紅葉に日本人が感じる微妙な変化を思い起こすことができなかったのではないだろうか。私はこの外国人との会話から、文化の相違と価値観の違いを痛感した。
また、このようなことを別の場面でも考えさせられたことがある。それは、ある発展途上国のゴミの山に無邪気な姿で戯れている少年たちの写真であった。その写真を見た時、すぐさま不衛生・貧困といったマイナスのイメージを抱くと同時に、『なぜあのような場で無邪気に戯れることができるのか』という疑問を持った。こういった印象は、「ない物なし」の日本に住んでいるから抱くものであり、飢餓と貧困に苦しむこの国の子供たちにとっては、一日一日が大切であり、力いっぱい生きているのである。だから、ゴミの山に無邪気な姿で立ちあがることができるのであろう。これこそ国々の生活状況の相違からくるのであろう。
英語教師として教壇に立っている現在、生徒に「外国に行くわけでもないのに、なぜ英語を勉強する必要があるのか」といった疑問を投げかけられることがある。教科として英語を指導していく中で、「英語という言語」自体の学習が重要視され、その背景にあるものが軽視されがちになってはいないかと反省し、英語という教科を通して、英語圏の文化や生活習慣といった背景に目を向け、自分たちとは異なる事物を受け入れるだけの力を養いたいと思う。そのために、私自身英語という言語教育を通して、世界の政治・経済といったグローバルな視野をもって、生徒と接していけるように努めていきたい。
(福島市立蓬莱中学校教諭)
◆啄の機
小野塚徹
教員として採用されたとき、M先生から、「この言葉の意味を心に刻んでがんばりなさい。」という温かい励ましとともに、「◆啄」と力強く書かれた小さな掛軸をいただいた。
「◆」は、鶏の卵がかえる時、殻の中でひながつつくこと、「啄」は母親が殻をかみ破ること(広辞苑)とあり、卵からかえろうとするひなと母鶏との絶妙なタイミングでひながかえるということである。
たったこの二文字が………というかも知れないが、教員生活の中で今まで大きな糧として私を支えてきたといっても過言ではない。
さて、この言葉の意味をつくづく考えさせられたのは、教員四年目、三年生を担任したときのことである。このクラスに緘黙傾向の児童T男がいた。担任として一か月位は、一、二年の記録や生活の様子を見ながら、少しでも集団の中で行動させたいと思い、常に気を配っていた。
また、ある時T男の母親に生いたちや家庭での様子を聞いてみたが、多少その傾向はあるものの家族とは何でも話すとのことであった。私は学校生活の先行きに不安を感じた。
そんなT男の指導に困惑していた五月の日曜日、私の気持ちを察知した(後で知ったことだが)クラスメート男女が数人が、T男の家に遊びに行った。(三年生として、ここまで考えたことに頭が下がった。)しかもT男の好きなファミコンをして遊んだ後、かくれんぼをして遊んだ。なぜなら、途中でT男が鬼になれば、見つけるのに必ず名前を呼ぶ、つまり、言葉を発しなければならないと考えたからだという。
次の日の朝、T男と遊んだ一人の女の子が私の所にかけ寄ってきて、「先生きのうT君がすごくしゃべったよ。」と満足気な顔、一番前の席のT男も声が聞こえたのか、笑みを浮かべて私を見ていた。
その時、私の頭に「◆啄」という二文字がよぎった。友達と心からふれ合い、言葉を発したいというT男の気持ちに気づき、T男の心を開いてあげたのだ。ひながT男であれば遊びに行った子供たちが母鶏であり、これがまさに「◆啄」のもつ意味そのものであることを教えられ、自分にとってそれからの財産となった。
この「◆啄」という二文字は、私にとって教育の原点であり、子供一人一人を見る目に厳しさを与える座右の銘となっている。
最後に、この言葉を贈ってくださったM先生に改めて感謝するとともに、子供と共に育つことの大切さを認識した。
(本宮町立本宮小学校教諭)