教育福島0184号(1995年(H07)01月)-028page

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私を育んでくれたもの

齋藤榮子

 

。「先生は私の母親」と言って、年に数回このような過ごし方を楽しんで行く。

 

つい先日も四十三歳になる教え子が、三泊四日をわが家で自由気ままに過ごし、リフレッシュして東京の雑踏の中に帰って行った。「先生は私の母親」と言って、年に数回このような過ごし方を楽しんで行く。

また、前任校生徒で現在某大学院生の男の子は、年に何回か母親を伴ったりして来訪し、想い出や未来への夢を語ってくれる。

へき地校で担任した男の子は、国内から二名という難関を突破して世界銀行に勤務、ワシントンを本拠に世界中を飛びまわり、つかの間の休暇の中で、世界の動向や経済の現状、国々の人々の様子をマスコミでは知り得ない側面を熱っぽく語って行く。

当時、問題のある生徒といわれていた卒業生は、突然やって来て、会食しながら、当時の心境を切々と話し、「先生、また遊びに来るよ。」と言ってさわやかに帰って行った。

一方、子どもたちだけでなく、父母たちとの親交も、赴任する学校ごと学年ごとにでき、会食をしたり、夜遅くまで雑談をしたりして、お互いに共通理解を深め合いながら子育てに励んでいる。

これらはほんの一例だが、真の教育は生徒と教師と保護者の三位一体の信頼関係の上にのみ成立するという実感が日常のこうした些細なことからも確信させられている。

「希望は人を成功に導く信仰である」生徒個々の内面にいかにして食い込み、かけがえのない個性に気づかせ、自らそれを最大限に伸ばそうと意欲を燃やさせるかが、私たちの最高の使命ではないだろうか。

「妄に人の師となるべからず、又妄に人を師とすべからず、必ず教ゆべきことありて師となり、真に学ぶべきことありて師とすべし」という吉田松陰の名言は、現代の私たち教師にとっても座右の銘とすべき一つではないかと思っている次第である。

「教ふるは学ぶの半ばなり」とも言われているように、生徒や保護者そして社会が、教師や教育に今何を期待しているかを謙虚に冷静に受け止め、絶えず研修を積み重ねなければならないと考えている。

幸い、今日までいろいろな場面や機会に恵まれ、多くの人たちから数々のことを学ばせていただいていることに改めて感謝している昨今である。

近年は教え子たちに学ぶことの方が多くなったなあーというのが実感であるが、残り少ない現役生活を自問自答しながら真摯に取り組み、より実りあるものにしたいと願っている。

(郡山市立富田中学校教諭)

 

私の母校

星純一

 

母校」に戻ってきた。しかし、私の過ごした木造の校舎は、もうここにはない。

 

下郷中学校を卒業して、十九年。今度は、教師として再び「母校」に戻ってきた。しかし、私の過ごした木造の校舎は、もうここにはない。

実は、私が入学したのは楢原中学校。町の三つの中学校が統合され、二年からは下郷中学校楢原分室となったのである。そして、下郷中第二回の卒業生となったわけであるが、新校舎に通うことはなかった。その後、木造の校舎は取り壊され、跡地には楢原小学校が建てられた。つまり、私の通った学校はなくなってしまったが、下郷中は私の「母校」ということになったのである。

赴任した年に、ちょうど同級会が行われることになった。久しぶりの同級生との再会に、胸を躍らせながら会場に向かった。顔を見るなり名前を呼び合う者、もしかしてと声をかける者、顔をしげしげと見つめ記憶の糸をたどる者……。近況を語り合いながらいつしか中学時代の自分に戻っているのである。

そして、私が下郷中に勤務しているという話から、校舎の話になった。自分たちが通った校舎に対する思いはみんな同じで、なくなってしまっ

 

 

 


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