教育福島0185号(1995年(H07)02月)-007page

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三十三年 東京芸術大学美術学部研究科修了

三十四年 青山学院大学講師

三十七年 フランス・ボルドー大学に一年間留学

四十四年 美術団体一陽会会員・審査員

五十九年 聖心女子大学講師

六十三年 美術教育連合常任理事

六十三年 東京家政大学教授(児童学科)

平成 三年 東京家政大学大学院教授・保育科長

 

学生に講義する筆者

学生に講義する筆者

 

〔主たる著書〕

昭和五十七年「クーピーペンシルの本」サクラクレパス出版部、「図画工作指導の事典(共著)」小学館、「鑑賞指導(共著)」文部省、五十八年「発想指導のポイント(共著)」明治図書、六十年「子供が楽しく絵をかく描画材料の使い方」東書、「現代小学校学級担任事典(共著)」ぎょうせい、六十一年「表現の喜びを味わう図画工作の学習」小学館、平成三年「教科書・図画工作(共著)」開隆堂、四年「幼児の造形認識」美術教育連合記要、六年「子どもはなぜ太陽をかくか」東京家政大学記要。

 

り物をもらってくれる人はこんな人かな?、あげたらにっこり笑いながらもらってくれるかな?などと、もらってくれる人を心の中に思い浮かべながらだったら作れるかな?」と相談するような調子で助言しなおしたという。すると、子ども達はにこにこしながら作り始めたということである。

この場合は、仮定という方法でのめあての持たせ方がよかったし、押しつけでなく相談的方法もよかったと思う。

 

◇ゆとりをもって

小学五年生の児童が、家庭で両親に次のように訴えたという。「先生は何か説明した後すぐわかった?というんだ。考える時間もくれないでわかるわけないじゃないか!」と。

これを聞いて、私も教師の一人として、虚を突かれた思いがした。私もこの轍を踏んでいるような気がするからである。確かに、わかるには、その内容に相当する考える時間が必要な訳だ。

 

今の教育で重視されている自主的で主体的な活動を促すために、日々私たちは工夫している。そのために、子どもに通じる言葉を使うこと、学習にはめあてを持たせること、取り組みには相応の時間の保証をすることなど、当たり前のことを一層心掛けたいものである。

ここでは、幼稚園や小学校での事例を取り上げたが、中学校や高等学校でも同様であると考える。

 

提言

 

 

 


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