教育福島0185号(1995年(H07)02月)-020page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

迎えるためには、それなりの過程がある。作物でも樹木でも、手入れをする時期があることはだれでも知っていることだ。種を蒔く時期、肥料を与える時期、除草の時期などそれぞれにある。諺に「彼岸過ぎての麦の肥」というのがある。つまり手入れも節を外すと無になってしまう。また節を外さず努めた場合でも天候に左右され、また病虫害にも大きく影響される。考えによっては子供の成長もまた同じである。

現代に生きる子供たちを見ていると、自分というものを持てなくて周囲の環境に左右される者が多くみられる。その子供たちに大切なのは、自分を知り、自分の生き方を考え、自分の「人生の導き星」を持つことだ。自分を支え、生き方をリードしてくれる導き星を持つ方法としては、各自それぞれの方法があるだろうと思うが、その中に読者も有効な方法として挙げられるだろう。

読者は知性を磨き教養を高めてくれる。例えば、江戸期の佐藤一斉は「少にして学べば壮にして為すなり、壮にして学べば老いて衰えず、老いて学べば死して朽ちず。」といっている。この言葉に、彼が先達の書を基に、八十二歳までの研鐙を重ねた姿を見ることができる。少にして学べば壮にして為すなりと言うが、私は高校時代に夏休み蝉時雨の中、0・ヘンリーの「最後の一葉」を辞書を片手に読んだが、老画家の心の優しさが今でも心に焼き付いている。

読書には国境もなく昔も今もない。また専門も職業も階級なども一切関係なく、誰とでも直接に、その著者と、何時でも何処でも語り合えるのであるから、読書は自分の人生の導き星に出会える一つであると思う。

現代の子供たちは、自分を静かに見つめ、人生について考えたり、読書をしたりするには、テレビなどに時間を取られ大変であろう。だが、子供たちは作物が成長過程に肥料を必要とするように、自分の努力により「導き星」を持つことと、心の栄養を蓄えることが必要だ。

子供たちが「導き星」を得て実り豊かに育っていくために、見守る大人たちも、子供の成長にあわせた読書しやすい、より良い環境づくりをしてやってほしい。

(県立喜多方女子高等学校教諭)

 

初心を大切に

松尾厚子

 

「おねえちゃん。遊ぼう!」

 

「おねえちゃん。遊ぼう!」

保育所の保母になって初めての入所式の日、キラキラ輝く澄んだ瞳が一斉に私に向き、保護者の熱い眼差しと併せて、緊張で身動きができなくなってしまったことが昨日のことのように思い出されます。

若さと体を動かすことだけはだれにも負けない、と子供と一緒に遊び駆け回ったりしたものでした。

三年目、新採用の後輩を迎え、自分が新採用だったころを思い起こすとともに、先輩としてしっかりやらなければ…とむきになっていた頃もなつかしく浮かんできます。

七年間の保母としての生活に別れを告げ、現在の幼稚園に勤務してから早くも七年間、計十四年間があっというまに過ぎようとしています。

今、改めて自分の保育の足跡を思い起こしますと、子供に一方的に与えていることばかりだったとも言えそうです。つまり、子供のすべてを受け入れてやさしく返してやるのではなく、つい目先のことばかりに気をとられ、子供の気持ちを理解してやる余裕がなかったからです。

最近になってようやく子供と同じ目線に立ってやることの大切さがわかってきたような気がします。

時代の進展とともに、子供を取り巻く環境は様々に変わりつつあります。

子供自身の問題ばかりでなく、周りの大人たちの問題も絡んで複雑かつ難しい問題も多発しており、保育だけの技術だけではうまく乗り切っていけないような現実にさえ直面するようになってきました。

解決を迫られる問題が生じた場合でも、保育者としてどこまで踏み込んでいいものか解決の方法が見えないまま、迷い、悩んでしまうこともあります。

しかし、先輩や同僚と協力し、「子供の笑顔に応える」ことを究極の願いとして努力することにしています。新しい学力観に基づく教育の一環として責任ある保育をしていかな

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。