教育福島0186号(1995年(H07)04月)-023page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

随想

日々の想い

ずいそう

 

朝の発見

片平俊夫

 

まだに飽きもせず続けている。ジョギングにはたくさんの魅力が詰まっている。

 

私の一日は朝のジョギングで始まる。習慣化して二十年になるが、いまだに飽きもせず続けている。ジョギングにはたくさんの魅力が詰まっている。

米国では「ゴールデン四マイル」ということばが流行になったように六キロメートルほど走れば健康の維持が約束されるということが言われているようだが、私は健康づくりのためという意識はあまりない。

ジョギング中に死亡する人も結構いるし、不整脈の原因が早朝空腹時のジョギングによるところが多いということも承知の上で走り続けている。「何ゆえ走るのか」と問われると答えに窮してしまうが、生命維持のためのミルキングアクションの日常化などと野暮なことは言うまい、敢えて目的を挙げるとするならば、私はそこにいろいろな発見があるから走っているのだと思っている。

朝、まだエンジンがかからない、心が白紙のような状態の時にゆっくり走ると、日ごろ何も感じていない些細なことに感動したり、驚いたりすることが多い。街路樹の彩りに四季の移り変わりを認識したり、朝日に映える吾妻山や、雪景色のなかでゆったり流れる阿武隈の美しさに感動しながら、手足が勝手に動いているというのが私のジョギングである。

そのほかに、その時の人々の好みの変化などを発見することもある。数年前までは、散歩している犬のほとんどがシェットランドシープやコリーだったのに、少し前になるとシベリアンハスキーに変わり、今はゴールデンレトリバーがやたら多いことなどはその典型である。また仕事がら、各種大会で全国各地に出掛けることが多いが、タイツとシャツにジョギングシューズを丸めてバッグの隅に入れておき、ふだんより早く起きて走れば仕事に支障なく全国のすがすがしい朝を満喫できる。私の心の栄養素でもある。

私にとって数少ない経験ではあるが、遠征等で行った異国の朝も、素晴らしい発見がたくさんあった。

歴史の重みと悠久な時の流れを感じながら走った北京の朝、ペチュニアやゼラニュームの花が窓ベに咲き乱れ、人々の堅実な生活ぶりが偲ばれたマインツの朝、世の中にはこんなにすがすがしい朝もあるのかと驚いたラインのほとりでのジョギング、あるいは古い歴史と現在の生活が同居しているようなブルガリアのプロブディブの朝、また、そこで出会った人々と交わした朝の楽しいあいさつなど、私の心の中には写真集のように、また、宝石のごとき輝きを放って残っている。

競技会がある朝は、はやる心が目覚めの時間を急がせ、四時頃には走り始めるということが多い。そこで、また、他県の情勢や競技に対する意気込み等に触れることができる。特に、今年のスケート国体の時などは早朝の五時頃、猛吹雪の中で他県の選手と指導者が一体となって黙々とコンディションの調整に励む姿を見て、大きな感動を得るとともに、本県との対比で焦りを感じ、競技に対する厳しい姿勢と、強さを維持するための血の滲むような努力の大切さも教えられた。

ジョギングに飽き、疲れる時もあるが、そんな時はさっさと休んでしまうか、カセットで好きなバロック音楽などを耳に入れながら走ることにしている。すると再び元気や意欲が湧いてくる。

誰にも邪魔されず自分だけの時間を過ごす楽しみ、流れる汗が朝の冷気と相侯ってなんと清々しいことか、そして楽しい発見の数々、コースで出会う人々たちと交わす朝のあいさつ等々ジョギングの魅力は尽きない。

しかし、疲労の回復に時間がかかり、老化現象を認識することがあるが、これもまた大切な新たなる発見だと思っている。ジョギングにはたくさんの魅力が詰まっている……

さあ!皆さんも一緒にどうですか

 

(競技力向上対策室主任指導主事)

 

 

 


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は情報提供者及び福島県教育委員会に帰属します。