教育福島0186号(1995年(H07)04月)-027page
三月に子どもたちといっしょに雛人形を作った。すばらしい材料を使ったので子どもたちの目が、きらきらと輝いていた。頭部に使用したものは、繭である。季節がらこの辺には繭がなく、梁川町に問い合わせて手に入れたのである。電話をかけ、二日後に蚕業試験場の職員の方が届けてくれた。おまけに、国体の年なので、黄色い繭でできたキビタン人形までいただいた。わざわざ遠方より教材を届けてくれたあたたかい心に感謝したい。
今年の一月一日の新聞広告で、次のような記事を見つけた。
「陸を旅した流水」…授業参観において子どもたちに流氷をさわらせてあげたいと願う教師と、それに応えようと必死になって届けようと努力する宅配便の運転手さんのプロとしての務め。
昨年行われた全国道徳福島県大会でも、野口英世の授業で母親シカさんが使っていた味噌瓶の蓋を使い、臨場感溢れる授業を展開している先生がいた。子どもたちの授業に集中する目がとても印象的だった。
体験活動という言葉が頻繁に使われる昨今、本物の資料、実物の教材にできるだけこだわりたいものである。それが授業創造につながるものだと思う。
今日も又、本物さがしに東奔西走している私である。
(矢吹町立矢吹小学校教諭)
K君のこと
木幡けん子
「先生、今なにしているの。」夜遅く電話をかけてくるのは一、二年生の時担任をしたK君です。明るく純真で、気立てがよく、人を傷つけたりすることとはおよそ無縁のやさしさを持った生徒でした。小学校の時の先生の指導なのでしょうか、特に女子生徒がK君の面倒をよく見てくれました。明日持ってくるものをメモ帳に書いてあげたり、宿題のお手伝いをしてくれたりました。また、乱暴な男子にいじめられると、かばってくれる男子の友達もいました。今どきなんとも温かい雰囲気がそこにはありました。また、K君自身も暴力を受けるとすぐに担任の私にそのことを訴えてきました。
ある日、お掃除の反省で週番の先生から「K君は体育館のトイレ掃除をいつも一生懸命やっていますが、今日は石鹸入れを自分の家から持って来て備え付けてくれました。」という放送がありました。「石鹸を置くところがぬるぬるするので、お母さんに言ったら『これ、学校へ持って行きなさい。』と言われたので持ってきました。」とうれしそうな顔でほほえんでいました。
そんな彼も巣立ち行く時となり、障害者手帳の交付を受け、部品組み立て会社への採用も決まり、両親はもちろん、みんなで喜びました。
就職後は、寮から時々電話が掛かりました。仕事の様子や友達から頼りにされていることなど楽しそうに話をしてくれました。あるとき「会社を辞めました。」と言う突然の話に驚きました。やがて、焼肉レストランに再就職をしたと連絡があったので、用事のついでにお店に寄ってみました。九ヵ月ぶりで会った彼の姿には、身長も伸びた、たくましい若者らしさを見ることができました。彼は喜んで店内などを案内してくれました。しかし、どうして会社を辞めるようになったのかなど話とを聞いているうちに、手荒れのひどいこと、仕事が遅いと暴言を言われたこと、社長に焼肉屋に行くように勧められたことなどがありました。ここでもすぐに辞めたいとの訴えにただごとではないと感じました。
どんなに苦しくても歯をくいしばって頑張って欲しいと思う願いや社会の厳しさに負けずに強い心を持ってもらいたいと思うとともに、彼の穏やかな笑顔を絶やさずに持ち続けられる術はないものか、彼の前途に幸あれと願う毎日です。
(双葉町立双葉中学校教諭)
石碑は心のメッセージ
斎藤弘毅
道の脇などで石碑を見ることは珍しくありません。でも、わざわざ行