教育福島0187号(1995年(H07)06月)-024page

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生徒一人一人に目を向けられる教師に

渡邉典辰

 

のうちに若さと情熱を失っているのではないか。』と自問自答することがある。

 

教員になって間もないころ、先輩の先生方から「二十代の教師は若さと情熱の教育でもよいが、三十代以降は、本当の指導力と人間としての魅力が必要である。」と聞かされたことがある。その当時は、それほど気にも止めない言葉であったが、三十代半ばになった今、つくづく考えさせられることが多い。『生徒から「先生」と呼ばれるだけのことをしているだろうか、知らず知らずのうちに若さと情熱を失っているのではないか。』と自問自答することがある。

そんな時よく思い出されるのが、小学校時代の担任であったA先生である。先生は、当時五十代前半であったが、教育に対する情熱や、常に子どものことを考えて指導に当たっていることが、小学生である私たちにも、ひしひしと伝わってくるものがあった。特に算数の授業では、自分で工夫した教具等を用いて分かり易く教えてくれるため、算数の時間が本当に楽しみであった。また、先生はいつも、「勉強は教えられるだけのものではない。自分から進んでやることが大切である。」と話され、グループでの話し合いや、発表の時にはよく褒め、たとえ間違った答えでも、そこに至るまでの過程をじっくり聞き、その中からよい考えを取り上げ、認めてくれたものである。そのため、授業では安心して発表することができたことを覚えている。一方、悪いことは本気になってしかってくれた。しかし、その後はいつものとおりみんなに声をかけ授業をする先生であった。このように、厳しく、そして温かい心で一人一人に目を向け、声をかけてくれるので、誰もがA先生を心から信頼し、慕っていた。

これまでにA先生をはじめ、数多くの先生方との出会いがあった。教師として、また人間としてすばらしい先生方であり、私もそのようなすばらしい先生になりたいと考え、努力しているつもりである。

しかし、一朝一夕でできるものではなく、長年の着実な教育実践の積み重ねと、教師の使命感があってできるものである。

今、中学校ではいじめや登校拒否など大きな課題がある。これは、生徒だけの問題ではなく、我々教師の問題でもある。生徒にとっては、わずか三年間の中学校生活であるが、肉体的にも精神的にも著しく成長する大切な時期でもある。生徒たちにとって本当に楽しい学校になるように努力していかなければならないと考える。そのためにも、生徒主体のわかる授業に一層努めるとともに、心から一人一人に目を向けてやれる教師になりたいと考えている。

(飯館村立飯舘中学校教諭)

 

プラス指向で

久保木清江

 

時の面影を残すものは散在する炭鉱住宅とズリ山ぐらいになってしまいました。

 

国宝白水阿弥陀堂を右手に望み、不動山トンネルを抜けると、正面に湯ノ岳が町を包み込むようにそびえています。かつて、この地は石炭で栄え、本校にも七百人を越える児童が通い、活気にあふれた町でした。しかし、今では全校生四十一名の小規模校となり、当時の面影を残すものは散在する炭鉱住宅とズリ山ぐらいになってしまいました。

赴任して二年目にあたる昨年度、本校は児童数の減少に伴い、五学級から三学級へと学級減になり、私も初めて複式学級を経験することになりました。担任した一、二年の複式学級は十名。あと一人で単式になる状況だけに、四月当初新入生の保護者の表情には暗いものがありました。

入学式の翌日から、新入生オリエンテーションと二年生の教科の授業を同時に行うという難しさに直面しました。ところが、私の予想に反して子どもたちは混乱もなく、むしろ生き生きと活動し始めたことに驚きました。一年生はどの子も明るく元気な挨拶や返事が自然にできるようになり、一つ一つの日課を戸惑うことなく伸び伸びとこなしているのです。これこそ、複式学級の利点であると思われます。今、何を、どのようにすべきかを行動で見せて、教えてくれる二年生から学びとったものであり、教師の細かな指導よりもはるかに教育的効果があったことを感じました。

授業においては、教師が授業過程

 

 

 


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