教育福島0187号(1995年(H07)06月)-025page

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で「ずらし」を工夫してはいるものの、思考する場面や話し合い活動が間接指導となる場合もあり得るわけで、子どもたちは教師に頼らず自分たちの力で解決していこうという姿勢を身に付けざるを得ない状況です。特に話し合い活動では、少人数なのでユニークな発言を期待するよりも、恥ずかしさや遠慮がなく発言できること、全員の考えをじっくり聞き合えること、子ども同士の考えから教科ごとのまとめ役が存在し学習の方向づけを示してくれることなどが、複式の授業において大切な学習の姿だと思います。

この一年間で私が描いている複式学級像にだいぶ近づいてきたこの子どもたちを今年度また受け持つことになりましたが、どの子も持てる力を十分に発揮していることを称賛したい気持ちです。昨年度、四月のPTA総会の折、本校PTA会長が、「複式のマイナス面よりもプラス面を見い出してほしい」と、保護者の方たちに呼びかけていたことを思い越こし、子どもたちが、今置かれている状況をプラス指向で捉え、臨むことの大切さを実感しています。

(いわき市立白水小学校教諭)

 

生徒を待ちながら

遠藤利靖

 

定時制に来て、生徒を待つことが多い。

 

定時制に来て、生徒を待つことが多い。

集合時間に来ないので待つ。授業料を持って来ないので待つ。学級日誌を持って来ないので待つ。興奮しているので落ち着くまで待つ。補充授業なのに来ないので待つ。

四年経って、私は非常に気が長くなった。どのくらい長くなったか。さる心理検査を自分に課してみた。新採用以来、「厳しく批判的な父親型」であった私が、「優しく共感的な母親型」に変わっていた。

私がこんなに、気が長くなったつもりでいるのに、まだ生徒にはせっかちに見えるらしい。生徒は私に「先生、落ち着け。」と言う。私は「お前たちのようなちゃらちゃらした、人生の何たるかも知ろうとしない若造にそんなことを言われる筋合いはない。」と心の中では思っている。しかし、私は黙っている。待つことを知ったからだ。

私は待つ姿勢を彼らに教えられた。彼らは教師を待たせると同時に教師を助けることもうまいのだ。私は彼らに何百回も待たされたが、それ以上に助けられた。彼らは、私が本当に困ったとき、神の見えざる手のごとく、いつのまにか、私を助ける。そこで私はひとつの定理を得た。「生徒が教師を助ける時、それは教師が本当に困った時である。」

彼らはアメとムチにより私を教育した。

定時制では四年間待つのだ。その間に生徒は見違えるくらい成長する。昨年の卒業式では、生徒代表がまた泣いた。泣いて言葉にならなかった。今年もまた涙の卒業式だった。卒業生の答辞にはいつも「ここで本当の学ぶ楽しさを知った」とか「本当の学校に出会った」などという表現が現れる。半分はうそかもしれないが半分は何ほどかの真実を含んでいるだろう。待っていてもらったことのない生徒たちが、待っていてくれる大人たちを発見したとしたなら。

私たちは、その半分の真実を信じて待ってみる。私たちは日本の中でも最も我慢強いタイプの教員ではないかと思う。これからは、そういうタイプの教員がもっと増えなければいけないだろうし増えざるを得ないだろう。私たちはただ見ているわけではない。待ちながら見ている。愛情と厳しさとを半々に構えながら。

三年前に持った生徒たちが卒業学年を迎えた。三年前とは見違えるくらい大人になったが、まだ私を待たせる。卒業式が楽しみだ。

これからも田舎でバスを待つように、生徒を待っていきたい。

(県立会津第二高等学校教諭)

 

キャプテンシー

渡辺康一

 

きく左右されるのである。キャプテンの重要性は、どのスポーツでも言えること

 

「キャプテンシー」とは、ラグビーのチームのリーダーシップ、即ちリーダーの果たすべき役割のことである。この「キャプテンシー」をどのように発揮するかによって、チームの実力、人間関係などが大きく左右されるのである。キャプテンの重要性は、どのスポーツでも言えること

 

 

 


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