教育福島0188号(1995年(H07)07月)-023page
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随想
日々の想い
ずいそう
S先生との出会い
太田由美子
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私が幼稚園に入った頃は、体が弱く、内気でおとなしい子だったそうです。担任のS先生は、わけへだてなく遊んでくれた優しい先生でした。紙芝居を読むのがとても上手で、膝をのり出すほど、絵と声にひきつけられました。また、折紙をしていてわからない所があると、「こうすると簡単よ。」と手をとって優しく教えてくれたり、いじめられたりすると、先生の膝にのせてくれたり、鬼ごっこやかくれんぼなどでは、一緒になって遊んでくれました。熱が出て母親が迎えに来るまで、ずっとおんぶしてくれたこともあります。私が幼稚園の先生になったきっかけも、このS先生との出会いが大きく、今でもS先生が目標となっています。
初めて幼児を担任したのは二十五名の年長組でした。子どもの顔と名前が一致せず、緊張した毎日を送っていた事を覚えています。そんな中で男児一人がいなくなるという騒ぎが起きました。この男児は、隣接している小学校の校舎に入り、兄のいる所で遊んでいたのです。とっても心配しました。その後も、ちょっと何かあると、「あんにゃー。」と言って泣きながら、兄の所に行くようになり、新米の私を手こずらせました。「子どもたちの命をあずかっている」という教師の責任の大きさを痛感させられました。
また、I幼稚園に転任し、これからじっくり子どもたち一人一人とかかわっていこうと思っていた矢先に病気となり、みんなに迷惑をかけてしまいました。元気な姿で、笑顔で子どもと共に生活することが、教師にとって欠かすことのできないことを、身を持って体験しました。
現在の幼稚園では、六名の四才児を担任しています。六名とも兄弟がなく長男・長女ばかりで、私が小さかったころのような内気でおとなしい子は一人もいません。みんな活発で元気な子どもたちばかりです。しかし、少人数学級のため、遊びの種類も限られるし、刺激も少ないのではと、悩みはつきません。日々の保育活動の反省や研究会などでの研修を基に、S先生を心の鏡に写しながら、「今年こそ」一人一人の子どもを大切にした、子どもの側に立った保育を展開できるようにと、努力しているのですが、S先生との距離は、まだまだ縮りそうにもありません。
子どもたちが夢中になって遊びこめるような環境を構成し、一人一人の幼児理解に努め、遊びの芽が更に大きく育つような援助の在り方を工夫していくことがS先生に近づくことになると考えています。
(相馬市立大野幼稚園教諭)
生徒と釣りに
関井秀一
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松川浦に生徒と海釣りに行った。私自身が魚を釣りたかったからでもあるが、生徒から熱心に誘われたからだ。
松川浦では、簡単な仕掛で、カレイやアイナメが釣れ、カラ揚げや天ぷらにして食べると大変よい酒の肴になる。
また、松川浦には、三月末に完成したばかりの横浜ベイブリッジに似た松川浦大橋が架かっており、眺めの点では、かなりの見応えもある。
私を誘った生徒が、釣り場に行く途中、急に、
「先生、弟も釣りにいかせっちーんだけど。」
と言うので、私は、彼の言う場所に向かった。その途中、私は、彼の口から出た言葉に驚いた。
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