教育福島0188号(1995年(H07)07月)-024page
![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() |
「家は、父ちゃんと母ちゃんが、別れていんのよ。父ちゃんは、酒ばっか飲んで、母ちゃんを殴ったり、蹴ったりするんで、別れっちまったんだ。そんじ、弟が父ちゃんの方に無理に引き取られちまって、今じゃ、弟が毎日のように殴らっちんだ。だっから、いいべ、連れでって。」
話をよく聞いてみると、家庭環境がひどい状況だ。また、同じクラスの生徒の中にも、両親が離婚しているものが結構いるという。
弟を後部座席に乗せた。兄の方は、小太りなのだが、弟の方は、身体は大きいが、痩せぎみだ。兄から事情を聞き、釣りに行けるので機嫌は良い。開口一番、
「本当に連れてってくれんの。いい先生がいんな。あんちゃんのとこはよ。俺んとこは、いねーよ。」
聞けば、弟の方は中学生で、あまり真面目に、学業に取り組んではいないらしい。
松川浦の防波堤の釣り場に着くと松川浦独特の匂いがした。海苔の匂いだ。
広々とした湾内には、枝の切り取られた木の柱が、まっすぐに何本も海上に立って、一種、妙な光景である。
子どもたちは、職人のように、釣りの準備をし、釣りを始めた。あっと言う間に、彼らだけでカレイやアイナメ、ハゼを八匹も釣っていた。
私は、全然釣れず、肩身が狭い思いをしていた。その間、弟の方は、釣りだけでなく、小さな燈台の梯子に登ったり、下りたりして落ち着きがなかった。最後には、燈台の屋根から下りることができなくなってしまい、私が、よじ登って肩を貸して下ろしてやった。
兄の方は、そんな弟の様子を見て「先生、許してやって。あいつは、嬉しくてしょうがねーんだ。家にいっと、酒飲んだ親父が文句言いながら、ぶん殴っから。顔見っとあざがあんべ。」
この子は、私が受け持っている科学部に属しているが、このように人を気遣う様子を見せたことはない。
弟が、露店で売っていたこんがりと色よく焼かれたつぼ鯛を持ってきて、食べてくれと言う。三人で分けあいながら食べた。潮風と磯の香りで、腹がいっぱいになった。
釣果は、私の場合はなし。彼らは鼻高々に、
「釣りとは、……。」
などと、訳知り顔で威張りながら、自分らの魚を見せびらかした。
帰り際、彼らは、かわいそうだからと、数匹を恵んでくれた。
自宅に戻り、魚を焼いて食べた。酒と一緒に食する魚は、小さくて泥臭かった。
四月に赴任したばかりなのだが、生徒は人なつこく、様々な問題を抱え、やってくる。私は、
「がんばれ。」
とつぶやき、ひとり乾杯した。
(県立新地高等学校教諭)
体験は力なり
柳沼孝一
![]()
私の勤務校がある喜多方市は、ひと昔前までは蔵の街で知られていましたが、今ではすっかりラーメンの街としての知名度が高まっています。
先日も観光客から「おいしいラーメンを食べたいのですが」と声をかけられました。私は大のラーメン好きなので、自信をもって「ガイドブックには〇〇食堂がうまいと書いてありますが、私は△△食堂の味が好きですね。」と体験を話したのです。
この時の顛末(てんまつ)は、私に学習指導要領で求められている体験的学習の重視を想起させました。
![]()
弾正ヶ原より喜多方をめざす…
体験を通して得た力は大きいと信じ、私はできるだけ授業の中へ積極的に体験的学習を取り入れています。
六年生の社会科では、自由民権運動の学習で取り入れました。喜多方市は、全国でも初めて農民が圧政に対し立ち上がった「喜多方事件」という歴史の表舞台に立ったことがあるのです。その土地に生きる者として、先人の業績を後世に伝えることは重要な役割の一つです。授業の延長で、その役割を少しでも果たせたらと願い、郷土史家Kさんの案内で喜多方事件ゆかりの地を訪ねる学習を行いました。当時の農民が自由と権利を求めて歩いた七キロの道のり
![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() |