教育福島0188号(1995年(H07)07月)-025page

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をたどったのです。Kさんは七十歳という高齢にもかかわらず、足どりも軽やかに、当時のようすを解説しながら案内してくださいました。子どもたちからは「歴史おじいさん」の名ですっかり人気者となりました。人や歴史遺産に関わりながら、いつしか子どもたちは昔にタイムスリップし、農民になっていたのです。「喜多方ってすごいね。」そんな言葉が聞かれたのも体験の力のおかげです。

話はもどりますが、観光客を案内して△△食堂で一緒に食べることになった私は、○○食堂でもラーメンを食べるはめになってしまいました。観光客の方いわく、「食べてみないことにはね。」これもまさに体験の力のおかげだったのです。

(喜多方市立松山小学校教諭)

 

山ゆり寮から

根元仁

 

私にとって道に迷うこともなく、無事学校へ通勤できるだけで一安心なのです。

 

学校へは、一分もあれば着いてしまいます。初任者である私にとって道に迷うこともなく、無事学校へ通勤できるだけで一安心なのです。

実は、私は、この春から中学校の寄宿舎の舎監として生活することになったのです。

私が勤務するこの中学校は、学区も広く、山間地にあります。小学校では分校に通っていた子どもたちも、中学生になると親元を離れて、通年制の寄宿舎に入ります。私の教師生活は、二名の生徒とともに毎朝六時半に起床し、朝食をとるところから一日が始まります。

最初は、職員室にいても何をしたらよいか分からず戸惑う毎日でした。学生時代に描いていた理想は、なかなか実行出来ずに学校での一日が過ぎてしまいました。寄宿舎へ戻って生徒たちと食事をしたり、話をしたりしていると、やっとほっとした気持ちになり、緊張がとけてきます。

寄宿舎で生徒とともに生活をしていると、普段の生活には見られない一面を見ることができます。

私の中学生のころと比べると、現在の中学生は、考え方も多様に変化しています。生徒の性格や個性をどのようにしてつかむか。毎日の生活の中で、どのような音楽を聴き、どのような本を読み、何を感じているのか。学校や授業で顔を合わせるだけでは、分からないことがたくさんあります。

例えば、私は技術・家庭科の授業しか担当していませんが、寄宿舎での学習時間に質問を受けていると、生徒の得意とする教科や苦手な教科を広い視野からとらえることができるようになりました。それだけでなく、一人一人の物の見方、考え方なども授業中以上にはっきりととらえることができます。

寄宿舎では、教師としての気持ちの他に、ある時には中学生を子に持つ親の気持ち、弟や妹のいる兄の気持ちを感じながら生徒と接することができます。もし、舎監にならなかったならば、このような経験は全く出来なかったでしょう。教師生活の一年目に、寄宿舎での生徒との触れ合いを通して得られるものは、私にとってとても貴重な財産となることと思います。

これからも一日一日、五感を生かして感じ取れるもの全てを、教師生活に生かしていけるように努力していきたいと思っています。

(いわき市立小川中学校教諭)

 

明日のPTAを想う

二階堂邦夫

 

が家を訪れて、ぜひ次年度の役員を引き受けていただけないかと言われました。

 

年度末のある日、PTA会長と次期会長が、我が家を訪れて、ぜひ次年度の役員を引き受けていただけないかと言われました。

それまで、他団体の役員の経験はありましたが、PTAにはまるでタッチしたことがなく、不安が募りましたが、お二人の熱意に負けて引き受けてしまいました。それから三年。今では、まさか、まさかの会長となってしまいました。

以前の私から考えると、予想もつかないことでしたが、副会長をはじめとしたスタッフ、校長先生をはじめとした先生方、および会員の協力によって、多くのことを学ばせていただきながら努めています。

PTAといえば、主に母親が中心になって活動している団体であるという程度の認識しかなかった私にと

 

 

 


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