教育福島0188号(1995年(H07)07月)-026page
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って、この三年間の経験は、まさに驚きの連続でした。
なかでも、当地区は福島市の西部に位置し、人口のドーナツ化現象により、急速に都市化が進んで住宅が増えたため、教室が不足し、子どもたちは不便を強いられていました。
このため校舎増築促進のため、地区の方々と協力して運動を展開して大きな成果を上げたことでした。
この運動を通して、小学校にしろ中学校にしろ、「学校」は、地域にとって本当に大切なシンボルなのだなと、改めて感じたことでした。
数回に渡る関係当局への陳情や、それを応援してくれる地区の皆さんの後押しと、備品購入に対する理解と協力により、すばらしい校舎が完成して、子どもたちが勉強を始めたとき、それまでの苦労が、いっぺんに吹き飛びました。
これからも地域の皆さんとPTAが協力して、子どもたちを見守っていく限り、明るく希望に満ち溢れた子どもたちが育つものと思いました。
この気持ちを大切にして、PTA活動を今後も続けていきたいと思います。
(福島市立鳥川小学校PTA会長)
私となぎなた
舟生雅子
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私は、中学・高校と陸上競技をやっていた。しかし、自分の体力を考えると将来陸上競技を続けることに不安を感じはじめていた。そんな私に、
「なぎなたをやってみたら。」
と母の一言。それが、私となぎなたとの出合いである。父が剣道をしていたことも私に影響を与えたのかもしれない。
軽い気持ちで始めたなぎなただが、私にとっては戸惑いの連続だった。
「黙想」ではじまるなぎなたの稽古。そして恩師友部先生の口癖である、
「きれいに勝ちなさい。なぎなたは女性のために生まれた武道なのだから、勝てばよい剣ではいけない。基本に忠実に、きれいに勝ちなさい。」
その言葉は、頭でわかっていてもなかなか試合でなぎなたの特性を出すことはままならなかった。それでも「継続は力なり」。すべてに通じる言葉だが、毎日の稽古によって、全くできなかった技が形になってきた。苦労して習得した技は、身につき自然に体が動くようになった。
大学を卒業して福島にもどり「陵部館」で稽古を続けてきたが、大学時代のようなわけにはいかず、ともするとくじけそうになった。そんな時、母が、
「今やれることを、しっかりやりなさい。大学で得たことを、生かしなさい。」
と何回となく励ましてくれた。その年、東北大会の「試合の部」で優勝、群馬国体リハーサル大会の「演技の部」でベストエイトに入賞することができた。本当によい思い出になると同時に協力してくださった皆さんに感謝することが多い。その当時は何も考えなかったが、その時できることを真剣に取り組むことの大切さがわかった気がする。
今、私は教育に身をおき、子どもたちに何を伝えられるかを考えると単なる知識を教えるのでなく、子どもたちが自分で選んだこと、また、他から与えられたことも自分なりに一生懸命取り組み、更に続けようとする意欲を大事に育ててあげることと思う。
そんな私も子育てに追われ、なかなかなぎなたの練習をできないのが現状である。しかし、少しずつでも今後続けていきたいと思う。
十月には、会津若松市で国体が開催される。地元の関係者の方々にはご苦労が多いことと思う。
私も役員として参加するが、国体成功のために微力ながらがんばりたいと思う今日この頃である。
(いわき市立勿来第二小学校教諭)
象の眼差し
阿部武彦
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象の眼差しに出会うと、いつも谷平先生のことを思い出す。巨大な体躯とは対照的に、寂しそうなそれでいて何かを知り得ている眼である。子どもがせがんでひろげた絵本を、子どもの頭越しにながめて、ふと象の眼に出会う時、谷平先生の眼だと
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