教育福島0188号(1995年(H07)07月)-028page
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「音楽の広場」と題した手作りの新聞を発行することにした。内容は、キューちゃん( )なる人物が季節に合った歌や懐かしい歌・日本歌曲・民謡・鑑賞へのお誘い・曲や用語の説明等を気ままに紹介していくのである。始めたばかりで、内容はまだまだ未熟であるが、春風のようにさわやかに私の気持ちが伝われば幸いである。音楽を愛する心があれば、形は違っても通じるものがあるだろう。音楽は魔法と同じかも知れない。
(白河市立南部中学校教諭)
E先生
中山智成
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朝早く学校に着き、まだだれもいない教室に立つと、子どもたちの楽しそうな笑い顔や校庭を汗いっぱいになって走りまわる姿が浮かんでくる。
このような一日の始まりに、必ずある人との出会いを思い出す。それは、私が教職を志すきっかけとなった、E先生との出会いである。
先生は、私がどんなに朝早く登校しても、いつも教室に居て笑顔で迎えてくださった。私はさっそく友だちと遊んだことや家庭でのできごとを話す。先生は温かくうなずきながら私の話を聞いてくださった。そんな朝のひとときが、私にとって楽しくもあり、素直に自分を表現できる世界でもあった。友だちが一人二人…と集まり、いつのまにか先生の周りが人でいっぱいになり、大きな笑い声が教室中に響き合うころ、自然な形で授業が始まるのだった。
先生は、私たち一人ひとりの良さを、実に巧みに取り上げて指導してくださった。体育のサッカーの授業では、パスの練習をしているとき、「みんな、中山君のように、走る相手の斜め前にパスを出すといいね。」と先生がほめてくださった。私は得意満面でさらに意欲がわいて来た。他の友だちも、もっと良いプレーをしようと工夫をこらしていった。
また、先生がよく口にされた印象的な言葉がある。それは、
「いいねぇ。やってみよう。」
という言葉である。学級会では、「キャンプをしよう。」「なわとび大会をやろう。」と、次々と行事の企画が持ち上がった。E先生は、まず「いい考えだねぇ。」と私たちのアイディアを認めた上で、「ゲームはどんなものがいいかな。」とか、「こんな種目もあるよ。」と、大切なところでは欠かさず援助の手を差しのべてくださった。
このように先生は一人ひとりを見つめ、伸ばす言葉かけをするとともに、折りにふれては、私たちに
「うぬぼれるな。」
と、強い言葉を投げかけられた。自分なりの考えを大切にしながらも、常に他者との関係の中で謙虚な態度を忘れてはならないことを教えてくださったのだと思う。
現在、三十名のかわいい子どもたちに囲まれて学校生活を過ごしている。一つの言葉をかけるとき、いつもE先生のことが頭に浮かぶ。二十一世紀を担っていく、大切な子どもたちを前にして、日々の研讃を積み重ね、一歩ずつ前進して行きたい。
私の恩師であり、これからの大きな目標でもあるE先生を、朝の教室で追いかけながら−−。
(三春町立岩江小学校教諭)
生徒がライバル
齋藤雅美
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たかが走ること、されど走ること。この、走るということを通して、人との出会いがあり、生徒とのふれあいがある。そして、思い出の一ページが心に刻まれる。
本校に赴任して三年目。半数以上が特設駅伝部員で、走るのが好きな生徒たちに囲まれている。
昨年のこと、「先生、谷口選手が来るんだって。行ってみてなあ。」「よし、行くか。」と、船引町まで出かけた。谷口選手の講話を聴き、大会に出場して走る姿をまのあたりにし、感激して帰ってきた。
本校は全校生百四名の小規模校であるが、駅伝への関心が高く、走ることへの喜びは日常の生徒一人ひとりの声から感じられる。
「みんなと走っから、楽しいんだも
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