教育福島0188号(1995年(H07)07月)-050page
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ふるさと探訪
県指定重要文化財(工芸品)
下小屋熊野神社御正体六面
所在地 西白河郡大信村大字下小屋字宮沢九八番地
所有者 熊野神社
熊野神社の御正体(以下懸仏)六面は銅造が一面、他の五面は鉄造です。銅造の一面は半径五九・三センチメートル、永享五年(一四三三)大檀那白河荘某父子が工人下野国住大知某に作らせたもので、薬師如来坐像が鋳られており、御正体の中では一番大きなものです。他の懸仏は二九・六センチメートルから二三・九センチメートル、鎌倉時代から室町時代末期までの作で、阿弥陀三尊像や聖観音菩薩等が鋳られています。
これらの懸仏が存在していたことは、「白河風土記」に見られ、また、「熊野神社縁起」には、五庵行者が紀州熊野三社を勧請し多くの御正体や古鏡があったと伝えています。
鉄造懸仏は、比較的東国に多いとされていますが、熊野神社のようにまとまって伝えられているのは珍しく、本県の懸仏文化史上貴重であるとして、平成七年三月三十一日付で県指定重要文化財に指定されました。
県指定重要文化財(古文書)
石川大蔵院文書二巻十四通
所在地 石川郡石川町字高田二〇〇番地の二
所有者 石川静子
石川大蔵院は、元禄年間頃までは八大院と称し、中世以来石川六十六郷さらに竹貫郷の熊野参詣先達職及び年行事職を保持して幕末に至った修験でした。二巻を収める文書箱の表に「東金峯古文書三巻」とあることから本来は三巻であり、また明治二十二年(一八八九一文科大学が調査した時点でも三巻伝存したことは、東京大学史料編纂所「石川頼賢蔵本」として架蔵されている二〇通の影写本等により明らかです。
その後、応安三年(一三七〇)の先達職安堵状及び北条・今川・武田各氏の過所(通行許可状)、秀吉感状など六通を収める一巻が失われたと推測されます。しかし、一巻を欠くとはいえ、中世石川荘及び近世石川郡と竹貫にわたる地域における修験のあり方を示す歴史上重要な文書として、文書箱とともに平成七年三月三十一日付けで県指定重要文化財に指定されました。
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