教育福島0189号(1995年(H07)09月)-025page
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葉たばこ栽培に思う
野三津子
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子育てと子どもたちの成長を、葉たばこの成長にだぶらせて思うことがある。三月末に、葉たばこの目に見えない程の小粒の種をじょうろで蒔いてから半年。今では、幹も太り葉も大きく成長し枚数も増えてきた。畑の間を、最近の天候を心配しながら毎日通勤している私は、農業に従事している父母のことを通して、子育てについて考えることがある。
まず一番に感じることは、父と母の努力である。
「おばあちゃんどこに行ったの。」
と娘は大好きな祖母を捜す。
「畑でしょ。」
と何気なく答えてしまう。
朝早くから昼休みも惜しんで働いている父母である。畑の地面を這うようにして葉を摘み、縄に通している父母の姿を見て育った子どもたちであるが、この努力を感じとっているのだろうか…。今、感じなくても近い将来分かってほしいと思う。
「おばあちゃん、ご飯だよ。」
「もうちょっとやってから。」
今日も頑張る父母である。
次に感じることは、父母が一枚一枚の葉にかける愛情である。
葉が折れ曲がっていると手でやさしくのばしてあげる。この接し方は、子どもとの接し方に通じるものがあると思う。
また、何事にも気配りと思いやりを持って接しなければならないという事も教えてくれる。更に、継続することが大切であるという事までも。
これまで父と母は五十年以上もこの仕事を続けてきた。いいことばかりではなかったはずである。しかし、葉たばこ栽培を継続したことによって技術を身につけ、現在表彰を受けるほどになった。子どもたちに、父母の仕事を例にとり続けることの大切さを毎日のように話すが、よい手本が近くにいることに、いまだに気づいていないのである。
「おじいちゃん、天気予報が始まるよう。」
息子は、テレビから目を離さない。天気予報を聞いておじいちゃんに教える。知らず知らずのうちに身についた我が家の習慣である。葉たばこ栽培が特に自然との戦いであることは子どもたちも気づいている。「台風はどうなったのかな。気圧配置は…。」と常に話題にのぼるからである。
このように我が家では葉たばこ栽培と毎日の生活が切り離せないのである。種蒔き、葉摘み、乾燥、加工して出荷するまでの一年間、出あり谷ありの仕事である。子育ても同じであると思う。しかし、父母の仕事ぶりから努力、愛情、継続について考えさせられる毎日である。
(浪江町立幾世橋小学校教諭)
「中堅教師」として
大野勝彦
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教師として今年で九年目を迎えます。このところ、「中堅教師」として、少しずつ自分を見る周りの目や期待の度合いが変わってきているのを肌で感じます。そんな中で、「中堅教師」としての立場・役割・存在について、自問自答しながら日々の教育活動を行っています。
教師になって三・四年目の頃は、ただひたすらに日々の仕事をこなすだけの毎日で、自分の教育活動の足跡を振り返る余裕などありませんでした。そんな時、ある先輩教師に教えていただいた一言が、今になってよみがえってきます。「教職五年目までは周りの力、五年目からは自分の力、さらに十年目からは下の力」。その当時は、ただ何となく五年目・十年目には、教師としてひとつの節目が来るのかな、ぐらいにしか考えていなかったのですが、今二校目に勤務し、少しずつこの言葉の意味が判りかけてきたように思います。
「五年目までは周りの力」。これは初めの五年間は、周りの教師に教えていただき、教師としての基礎を作っていく時期であるという意味でしょう。そこでよい結果が得られても、
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