教育福島0189号(1995年(H07)09月)-027page
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らくでした。」と声を掛けられ振り返ると、「わかりますか。」と、にこにこ顔で立っている保護者がおりました。一瞬戸惑いましたが、その笑顔を見ていると昔のやんちゃで手こずった頃の姿が浮かんできました。「A君だね。」「はい、そうです。今度私の子どもがお世話になります。」等言葉を交わしながらも頼もしく、逞しく成長した教え子の姿に驚くと同時に喜びを感じました。
何故かその時、私が保育者として未熟で、至らなかった頃が思い浮かびました。子どもたちが砂場で、いろいろな形の容器に少し湿った砂をつめ、それをプラスチック製の皿の上にのせて、それぞれの形に合わせ、「これはプリンです。」とか「これはホットケーキです。食べて下さい。」等と言いながら、それらのごちそうを友だちに勧めて、せっかく楽しく遊んで盛り上がっていたにもかかわらず、一斉活動の時間のために途中で止めさせざるを得ませんでした。その時の懇願する姿や途中で止めさせられた子どもの不満そうな姿を見て″ハッ″とさせられました。
幼児が自ら、自主的に遊びを展開することが大切だと頭の中でわかっていても、実際の保育になると、教師中心の保育となっている事を反省させられ、二度と同じ間違いをしないように心を戒めました。
このように失敗をくり返しながら、何度も悩み、大きな壁にぶつかったりして、その度に逃げ出したい気持ちになりましたが、そんな時、何よりも励ましてくれたのは、「先生あのね」と無邪気に話しかけてくる子どもたちの一人ひとりの表情でした。そこには、子ども自身の楽しかった話や、いやな思いをした事、家庭での出来事等、いろいろな話がありました。一人ひとりの話を聞き、的を射た言葉を返すことができたとき、にっこりとした笑顔を見る時、不思議に自分の悩みや苦労が消え、自然と奥底から力が込み上げ、頑張らなければと自分を奮い立たせ、子どもたちに笑顔を返すことができました。これまでに私を励まし、勇気づけてくれた子どもたちの笑顔は私にとって成長の証であり、何にも増して大切な宝物です。
今後も、教育要領に基づき、子どもたちの素晴らしい笑顔を絶やすことなく、安心して幼稚園生活ができるような環境を設定していくとともに、自分自身保育者として、資質の向上を図りながら、明日のA君との出会いを期待しながら努力していくつもりです。
(岩瀬村立白方幼稚園教諭)
養護教育と私
安藤徳明
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私が中学校の特殊学級の担任をするようになってから五年が経過しました。明るく、元気な子どもたちに囲まれながら、充実した日々を過ごしています。
私が養護教育に携わるようになったのは、大学時代に所属していた社会福祉研究会というボランティアサ−クルでの活動経験が大きく影響していたと思います。このサークルに所属することによって、重症心身障害児施設での介助、養護施設での学習ボランティア、自閉症など障害をもつ子どもたちを地域の公民館に招いての子ども会の開催、朗読ボランティア・点訳ボランティア、手話の学習会への参加、自主ゼミヘの参加など、様々な経験をすることができました。福祉に関することはもちろん、教育や平和問題に関する理解も深める機会を得ることができ、多岐にわたっての活動や研究を行うことができました。
こうしたサークル活動を通して、多くの方々と接することができました。特に障害をもった子どもたちとの出会いは、とても感動的なものばかりでした。様々な障害を抱えながらも、それを弱さとして受けとめるのではなく、むしろそれをバネにして前向きに生きようとする姿に接することができ勇気づけられることもしばしばでした。また、子どもたちとのふれあいを通して、普段の生活だけでは経験できないようなことをたくさん学びとることもできました。こうした感動的な場面と魅力ある子どもたちに出会うたびに、学校の教師になりたい、できれば養護学校や特殊学級で子どもたちと接してみたいという気持ちをもつようになり、念願かなって五年前から特殊学級担任になることができました。
これまで、特殊学級担任として十名の卒業生を見送りました。その進路先については一般企業への就職がほとんどでしたが、職業相談や職場実習を経て、就職先が決まるものの、
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