教育福島0189号(1995年(H07)09月)-028page

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離職する場合も多いようです。そのため、在学中のようにはいかなくても、卒業後も子どもたちの相談相手でいられればと思っています。幸いなことに、ほとんどの子どもたちと今でも手紙や電話でのやりとりが続いています。私にとって、卒業後も私を慕ってくれる子どもたちがいるということが心の大きな支えにもなっています。これからも子どもたちとの出会いを大切にしながら、細くても長くつきあえる間柄でいたいと思っています。

(川俣町立川俣中学校教諭)

 

マーチングバンドに魅せられて

藤原奈美

 

『AIZU』が流れてくる。その曲に誘われるかのように、私の足は体育館へ向く。

 

放課後になると決まって体育館からマーチングバンドの曲『AIZU』が流れてくる。その曲に誘われるかのように、私の足は体育館へ向く。

今日もまた、マーチングバンド部の練習が始まる。

マーチングバンドは、総合芸術と言われるとおり、吹奏楽の演奏形態をとるものの、そこに隊形変換や身体的動作を入れ、バンド全体を動的、立体的に構成していくものである。

本校は、そのマーチングバンドの演技を、ふくしま国体なぎなた競技の開会式で披露するという、またとない機会をいただき、私も微力ながらその指導の一員に加わっている。

今では、マーチングバンドについての知識や技能を身に付け、それなりの指導も少しずつできるようになってきているが、初めてこの話をいただいた時は、マーチングバンドのことなど、全くわからない状態であった。急きょ、講習会に参加し、受講した内容をそのまま子どもたちへ指導はするものの、ハイステップの足の位置はこれでよかったのか、アバウトフェイス(回れ右)のやり方はどうだったのかと不安だらけ。指導書を片手に子どもたちと接する全く暗中模索の日々であった。

しかし、そんな不安をよそに、子どもたちは、新しいことに取り組むことへの期待感で、瞳をキラキラと輝かせ、私たちをいつも待っていてくれた。子どもたちは、まるで、スポンジで水を吸い取るかのように、ステップの踏み方、マーチングバンド特有のローリングという歩き方などを自分のものとしてどんどん吸収していった。そんな子どもたちに何度励まされたことか。カラーガードの振り付けに迷っていた時、子どもから、「こんな振り付けはどうですか」と言われ、子どもたちと一緒に工夫を重ねていった。

昨年のリハーサル大会では、子どもたちはすばらしい演技を披露してくれた。一体、子どもたちのどこにそんなパワーが潜んでいたのかと、ただただ感心するばかり。同時に、わずか十分という短時間の中に、今まで学んだすべてを集約させ、演技する子どもたちの姿に感動を覚えたのは言うまでもない。そんな感動を子どもたちとともに、また、一緒に指導に当たった同僚とともに共有できたことは、何ものにもかえがたい貴重な体験であったと思う。

マーチングバンドの魅力、それは演技はもちろん、それをつくり上げようと前進する子どもたちの心にあると思う。その魅力のとりこになって、十月十五日の本番の日までマーチングバンドの日々は続く。

(会津若松市立行仁小学校教諭)

 

夏の高校野球に想う

誉田秀隆

 

応援団で埋まり、満員札止めの状態。そのため外野芝生席からの観戦となった。

 

夏の高校野球福島県大会の決勝戦が行われた七月二十九日、私は開成山球場にいた。小学生の娘と息子にせがまれ、実に三年ぶりの高校野球観戦である。私たちが球場についた時は、「磐城高校対郡山高校」という好カードとあって、内野席は両校の応援団で埋まり、満員札止めの状態。そのため外野芝生席からの観戦となった。

私は、十数年間高校野球の指導者として、試合の戦況を「勝敗」を意識しながらベンチから見守ってきたが、外野席に陣取り、こんなにゆったりした気持で試合観戦をするのは初めての経験であり、非常に新鮮に感じられた。

試合は白熱した展開であったが、

 

 

 


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