教育福島0190号(1995年(H07)10月)-049page

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博物館ノート

冷泉為恭

勿来関・足柄山図

冷泉為恭(文政六・一八二三〜元治元・一八六四)は田中訥言を祖とする復古大和絵派を代表する画家。古典的大和絵の復興を志し、大量の古画の模写を行い有職故実を研究した。物語や公家風俗に取材した作品を精力的に描いたが、宮廷への接近をはかるための京都所司代酒井氏との交際が誤解を招き倒幕派の浪士に斬殺された。

本県に関係の深い復古大和絵派の画家に高久隆古がいる。文化七(一八一〇)年武州忍藩阿部家の家老川勝隆任の四男に生まれた隆古は文政六(一八二三)年阿部家の白河転封に伴い白河に移る。その後江戸へ出て絵を学ぶが、やがて大和絵に傾倒し田中納言の弟子浮田一恵に学ぶ。関西・東海から北関東・本県へと足跡を残し、本県には貴重な大和絵系の画家である。

「勿来関図」は『千載集』収載の源義家の和歌で著名な勿来関を通る源義家一行を描く。近景に義家一行を、中景の山陰に関を配す。「足柄山図」は義家の弟新羅三郎義光を主題とする。後三年の役に馳せ従おうとする義光が、追って来た宮廷楽人豊原時秋に足柄山で秘曲を伝授する場面を描く。『古今著聞集』の説話に取材したものと思われる。

足柄山図

足柄山図

勿来関図

勿来関図


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